反応点としての「腧穴敏化論」の誕生

2014年6月6日『中医中药秘方网』
「『腧穴敏化論』の誕生メモ」
记腧穴敏化论的诞生

熱敏灸の陳日新先生の1982年からの軌跡が詳細に書かれています。

陳日新先生は『黄帝内経』を研究して概念を整理しました。2006年に『腧穴の熱敏化:灸の新治療法(腧穴热敏化:艾灸新疗法)』を出版されました。2011年にさらなる理論的発展を遂げ、雑誌『中国鍼灸』に発表されました。

2011年『中国鍼灸』
「岐伯の帰還:腧穴の『過敏化状態』を論ずる」
岐伯归来——论腧穴“敏化状态说”
陈日新 康明非 陈明人
『中国针灸』2011, v.31;No.269(02) 134-138
Return of Qibo: on hypothesis of sensitization state of acupoints

『岐伯の帰還』、映画『ロード・オブ・ザ・リング』を思い出させるタイトルの論文ですが、腧穴を反応点として捉えるのは、実は日本伝統鍼灸の考え方とソックリです。反応点としての熱敏穴は骨度分寸では正確に取穴できず、病態によって位置も状態も変わるという日本伝統鍼灸家にとっては当たり前の臨床的事実を論じています。これが中医薬大学レベルの現代中医学鍼灸では画期的なことなのです・・・。中医薬大学を卒業した先生に聞いたところでは、現代中医鍼灸教育では腧穴を触診せずにいきなり刺すそうです(触診する流派もいるようですが・・・)。これは宋代の王惟一著、『銅人鍼灸腧穴図経』のツボは固定化して動かないというマニュアル化の弊害がいきついたものだと思います。

熱敏灸の熱敏穴は病者にのみ現れる反応点なので、『黄帝内経』の岐伯の考えていた腧穴であるという意味です。現代の中国では灸が復活しつつあり、その原動力は熱敏灸にあると個人的には分析しています。2018年の『中国針灸』1月号から12月号で、7本の熱敏灸の論文が掲載されました。これは圧倒的な数です。

論文「岐伯の帰還:腧穴の『過敏化状態』を論ずる」では、腧穴は静的な状態と過敏な状態があると論じています。そして、特殊な過敏状態こそが治療に最適の刺激点というのは、その通りだと思いました。

中国の腧穴の概念を整理します。

腧穴は気の出入りするところであり、 病気の反応が出るところであり、鍼灸の治療点です。歴史的には宋代の『銅人鍼灸腧穴図経』で腧穴が使われました。『鍼灸甲乙経』や『備急千金要方』では「孔穴」です。1913年に文部省が経穴調査会を組織し、富士川游、三宅秀、吉田弘道先生が委員となります。1918年に『経穴調査委員会報告書』では、吉田弘道先生が屍体に鍼をして孔穴の解剖を定めたとしています。これが「改正孔穴」と呼ばれました。

官報. 1918年12月19日 經穴調査委員報告(文部省) / p453
『官報』の453ページに『改正孔穴』の全文が掲載されています。

中国の教科書は「腧穴学」となっています。日本の教科書は昔は「孔穴」でしたが、現在は『経絡経穴概論』です。

腧穴には十四経の「経穴」 と「経外穴」=「奇穴」、反応点である「阿是穴」の3種類を含む概念です。

日本の『経絡経穴概論』の「要穴」という言葉の使い方は学術的ではないです。これは浦山玖蔵先生が「つぼつぼ散歩ー要穴の話ー甲」で詳細に論じられています。さらに澤田健先生が沢田流太極療法のつぼを治療の要穴と表現し、柳谷素霊先生や本間祥白先生が五行穴を要穴と表現して、さらに現在のような日本語の要穴概念が形成されたようです。同じような要穴概念は朝鮮の『東医宝鑑』の「切要の穴」にあるようです。

中国では、1975年の『鍼灸学』では「特定要穴」と表現し、以降は「特定穴」と表現しています。(参照:「要穴」のはなし-丁-

特定穴は五輸穴の井穴、荥穴、输穴、经穴、合穴。
原穴、絡穴、郄穴、八脈交会穴、下合穴、八会穴、背兪穴、募穴、交会穴が含まれます。腧穴や孔穴、日本語の要穴や中国語の特定穴の概念は歴史的に整理する必要があると思います。

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