韓国伝統医学の古典 許任著、『鍼灸経験方』

李氏朝鮮時代の鍼灸医、許任が1644年に出版した『鍼灸經驗方』 です。神戸東洋医学研究会にご参加いただき、さらに舎岩鍼法について共同で研究して教えていただいている先生に貸していただきました。感動しました。

日本の江戸時代、山川淳庵が1725年に出版したものを京都大学のデジタルアーカイブでみることができます。


京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
鍼灸経験方

■李氏朝鮮(1392-1910)の許任に至る歴史

1445年、 『医方類聚』が出版されます。これは李氏朝鮮初期の医学書の集大成であり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正が日本に持ち帰り、日朝修好条規の際に返還されました。1592年~1598年の文禄・慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)の際には朝鮮の医官・金徳を日本に連れ帰りました。もともと明人の雲海士に学んだ朝鮮の医官・金徳は長宗我部元親の兵長であった桑名玄徳により捕虜とされ、桑名玄徳は金徳に学んだ鍼を『鍼要集』として残し、これは日本における鍼の流派「雲海士流」となりました。

「文禄の役(壬辰の乱)における日本、朝鮮、明医学の交わり」
松岡 尚則,山下 幸一,村崎 徹
『日本医史学雑誌』 52(2), 273-292, 2006-06-20
http://jsmh.umin.jp/journal/52-2/273.pdf

1613年、許俊(ホジュン)著、『東医宝鑑』が出版されます。

1644年、許任(ホイム) 著、『鍼灸經驗方』が出版されます。許任は許俊と同時代の人であり、朝鮮最高の鍼医と言われます。李氏朝鮮の第14代国王・宣祖の末期、第15代国王・光海君、第16代国王・仁祖に仕えました。1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵、壬申倭乱(文禄の役)に遇い、この時期に光海君を治療しています。1604年、宣祖の頭痛を阿是穴で治療しています。1612年、医官録に記録されています。

この時代を調べなおして、同時代に『懲毖録(ちょうひろく)』を書いた柳成龍の『鍼灸要訣』を読みたくなりました。

韓国ドラマで「チャングムの誓い」「ホジュン」「太陽人 李済馬 韓国医学の父」の次に許任を現代韓流ドラマ化した「名不虚伝」も2018年に放送されました。

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