1954〜1955年は中医学と弁証論治の創成期

2020年10月28日『光明日報』
「20世紀の1950年代の中医学の伝染病治療」
 
 
これは、良い記事です。中華人民共和国は1949年に建国され、1950年代は中医学の創成期です。1954年に河北省石家庄で日本脳炎が流行し50%と高い死亡率でしたが、老中医が弁証論治で「暑温」「伏暑」と弁証し、活躍しました。リハビリには鍼灸が使われました。
 
 
1950年の第1回全国衛生会議で西洋医師は中国医学を学ぶべきであり、伝統医師も西洋医学を学ぶべきであるという方針が確認されました。
 
1954年、毛沢東が「祖国医学の遺産を継承発展させる(繼承與發展祖國醫學遺產)」「西洋医師が中医を学ぶ(西醫學習中醫)」ことを提唱しました。
 
1955年、任応秋先生が『中医雑誌』に論文「中医的弁証論治的体系」を発表し、弁証論治を提唱します。
任应秋.伟大的祖国医学的成就.中医杂志,1955,(2):1.
 
1956年、北京・上海・広州・成都で中医学院が創設されました。また、西洋医師が2年間伝統医師のもとで学ぶ制度が始まりました。南京中医資進修学校で呂炳奎編の『中醫學概論』がテキストとして使われます。これは9年後の1965年には日本で『中国漢方医学概論 (1965年)』として翻訳出版されました。世界初の中医学の文献です。
 
 
南京中医学院 編 中国漢方医学概論刊行会 (1965年)
 
 
1957年、秦伯未先生が「弁証論治概説」で弁証論治を中国伝統医学の本質として論じます。
秦伯未.中医“辨证论治”概说.江苏中医,1957,(1):2.
 
 
1954〜1955年は中医学と弁証論治の創成期であり、河北省石家庄での出来事は重要だと思われます。
 
 
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする