古代ローマの中国伝統医学とセリアック病と朝鮮人参

2019年1月15日『デイリーメール』
「古代ローマ人たちはセリアック病を治療するためにスパイス貿易によって中国伝統医学(TCM)の薬を使っていたのかもしれないと新研究は主張している」
Ancient Romans may have used traditional Chinese medicines imported from Asia by spice traders to treat coeliac disease, study claims


ローマ・トルヴェルガダ大学の研究です。2008年にトスカーナで発見された2000年前のローマ人女性の遺伝子からセリアック病遺伝子がみつかりました。そして、その女性の歯と歯垢から朝鮮人参とウコンが発見されました。

以下、引用。

イタリア人研究者たちにとって、古代ローマ女性が生きていた時代のイタリアでは育たないハーブ(漢方生薬)を発見したのは驚きだった。

2020年「ルーツに戻る:最初に文書化されたセリアック病の症例の歯石解析」
Back to the roots: dental calculus analysis of the first documented case of coeliac disease
Angelo Gismondi, Alessia D’Agostino, Gabriele Di Marco, Cristina Martínez-Labarga, Valentina Leonini, Olga Rickards & Antonella Canini
Archaeological and Anthropological Sciences volume 12, Article number: 6 (2020)
https://link.springer.com/arti…/10.1007%2Fs12520-019-00962-w

セリアック病は古代ギリシャ医学のカッパドキアのアレタイオスによる記述はありますが、存在の堅固な証拠が見つかったのは初めてだそうです。カッパドキアのアレタイオスがギリシャ語で「腹部(κοιλιά:コリコア=coeliac:英語のセリアック)」と呼んだのが語源となりました。

西洋医学では、オランダの1944年飢饉の際にオランダの医師ウィレム・カレル・ディッケが小麦不足のため、小児の慢性下痢(セリアック病)の症状が消失していることに気づきました。そこからパンに含まれるグルテンが原因として疑われます。1970年代にセリアック病が遺伝性の免疫疾患であることが判明しました。パンの小麦をこねるときの粘りネットワークであるグルテンに免疫が反応して慢性下痢となります。唯一の効果的な治療法はグルテン除去食です。

現代の中国語では、セリアック病を乳糜瀉といいます。慢性の脾虚泄瀉と弁証されるようです。

2010年「慢性下痢の中医弁証の初歩的研究と脾虚下痢におけるセリアック病(乳糜瀉)のスクリーニング」
慢性腹泻中医证型的初步研究及乳糜泻在脾虚泄泻患者中的筛查
吕文君 《南京中医药大学》 2010年
http://cdmd.cnki.com.cn/Article/CDMD-10315-2010245280.htm
※ 乳糜泻可能是脾虚慢性腹泻的重要病因之一

上記論文は、慢性の脾虚の下痢の重要な病因の一つとしてセリアック病をあげています。古代ローマ貴族もセリアック病の慢性下痢に健脾補気の朝鮮人参を使っていたようです。

1980年にセリアック病ではないグルテン過敏性の下痢が学術論文で報告されました。これが現代への理論的転換点です。

1980年「セリアック病のエビデンスの存在しないグルテン過敏性下痢」
Gluten-sensitive diarrhea without evidence of celiac disease.
Cooper BT,et al. Gastroenterology. 1980 Nov;79(5 Pt 1):801-6.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/7419003

2013年にテニス選手、ノヴァク・ジョコビッチがグルテン・フリー・ダイエットに関する本を出版して、世界的なグルテン・フリー・ブームが起こりました。グルテン・フリー・ダイエットはリーキー・ガット症候群という当時、医学的には認められていない仮説を提唱していました。グルテン食により腸に炎症が起こり、腸から血中に毒素が漏れるというのです。わたしも最初はリーキー・ガット症候群を信じていなかったのですが、腸内細菌の研究をしていくうちに意見が変わってきました。

2012年12月21日 フランス国営AFP通信
「腸内細菌が肥満の原因に? 食生活改善で30キロ減、中国研究」
https://www.afpbb.com/articles/-/2917550

上海交通大学の趙立平先生は、中国の薬膳料理にヒントを得た食事やプレバイオティクス(オリゴ糖や食物線維)中心の食事を処方して、腸内細菌叢を改善することで肥満患者を治療しました。低脂肪・高線維食をとることで腸内細菌叢が改善し、全身の炎症がとれることで肥満や糖尿病が改善しました。そして、2018年に超一流科学雑誌『サイエンス』に趙立平先生の論文が掲載されます。

2018年3月9日科学雑誌『サイエンス』
「食物線維により腸内細菌は選択的に改善され、2型糖尿病を軽減する」
Gut bacteria selectively promoted by dietary fibers alleviate type 2 diabetes.
Zhao Liping
Science. 2018 Mar 9;359(6380):1151-1156. doi: 10.1126/science.aao5774.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/29590046

この2018年3月『サイエンス』論文は衝撃的でした。低脂肪の高線維食は腸内細菌叢を変化させ、短鎖脂肪酸を増やし、それが大腸内壁の密度を密にして血中への毒素の漏出を防ぎ、全身炎症を改善することで結果として2型糖尿病を改善するという論文でした。これはグルテンとは関係しませんが、まさにリーキー・ガット症候群の概念です。この論文を読んでから、私は リーキー・ガット症候群の概念をみなおし始めました。

2019年8月6日『ネーチャー』
「腸内細菌はメタボリック炎症を引きおこす」
The intestinal microbiota fuelling metabolic inflammation
Herbert Tilg, Niv Zmora, Timon E. Adolph & Eran Elinav
Nature Reviews Immunology volume 20, pages40–54(2020)
Published: 06 August 2019
https://www.nature.com/articles/s41577-019-0198-4

2019年8月『ネーチャー』論文では、高脂肪食・低線維食による腸内細菌叢の変化が腸のバリアを破壊して、腸から毒素が全身に漏出して炎症をおこす機序が書かれていました。2019年12月に統合医療生殖学会で薬膳について講演した際のテーマは、低脂肪・高線維の食事により腸内細菌叢が変化することなど、2018年3月の『サイエンス』論文と2019年8月の『ネーチャー』論文にもとづく最先端の内容です。

さらに2020年1月には 『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』で、高脂肪食は腸内細菌由来の血中毒素による炎症を起こし、精子形成の質を低下させるという論文が発表されました。

2020年1月2日『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』
「腸内微生物の高脂肪食誘発性共生による精子形成および精子運動性の障害 」
Impairment of spermatogenesis and sperm motility by the high-fat diet-induced dysbiosis of gut microbes.
Ding N et al
Gut. 2020 Jan 2. pii: gutjnl-2019-319127. doi: 10.1136/gutjnl-2019-319127
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/31900292
https://gut.bmj.com/…/ea…/2020/01/02/gutjnl-2019-319127.long

セリアック病とグルテンフリー食から研究をはじめて、高脂肪低線維の食事と腸内細菌と全身炎症の関係について研究しました。現代のセリアック病でないグルテン過敏症は第2次世界大戦後の「老化しないパン」などのグルテン添加や「緑の革命」による小麦の品種改良、遺伝子組換小麦と農薬など、ものすごく広範囲な問題です。

また、2019年8月には兵庫医科大学がグルテンフリー外来を開始しました。

2019年9月13日『QLifePro医療ニュース』
「グルテン感受性を持つ統合失調症患者、グルテンフリー食で症状改善の可能性-兵庫医大」
http://www.qlifepro.com/…/gluten-free-for-schizophrenia.html

グルテンフリー食やリーキー・ガット症候群を安易に否定する方はたぶん、あまり医学や科学の最先端に詳しくないのだと思います。

一つの問題として、セリアック病や非セリアック病・グルテン過敏症は確かに臓腑弁証では脾虚だと思うのですが、鍼灸単独で治せるのかという問題があります。繊維質の少ない高脂肪食で、全身性の炎症から肥満や糖尿病を起こしている患者さんに太白(SP3)や脾兪(BL20)への鍼灸だけで改善するとはどうしても思えません。食事指導などの養生、すなわち生活指導なしに患者さんを良い方向にもっていく自信がありません。

個人的に、セリアック病やグルテンフリー食の研究から食事指導、養生でまったく新しい観点を得ることができました。だから、古代ローマ貴族の女性がシルクロード経由で朝鮮人参などの中国伝統医薬を手に入れてセリアック病を治療していたと聞いて、非常に感慨深いです。

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