2020年のリサーチ・トレンド

2021年4月9日成都中医薬大学
「鍼の疼痛治療の2010年から2020年のリサーチ・トレンド:計量書誌学的分析」
Research Trends from 2010 to 2020 for Pain Treatment with Acupuncture: A Bibliometric Analysis
Journal of Pain Research Volume 2021:14 Pages 941—952
https://www.dovepress.com/research-trends-from-2010-to-2020…

以下、引用。

85ヵ国で全部で4,227本の鍼の疼痛治療の論文が出版された。トップ5ヵ国で3,457本の論文が出版され、全体の81.78パーセントを占めた。

中国は全体の29.62パーセントで1位だった。2位のアメリカは27.04パーセントである。韓国は10.39パーセント、イギリスは8.75パーセント、ドイツが5.98パーセントだった。

1971年~1972年にニクソン訪中という世界史的事件にともない鍼麻酔ブームが起こります。2019年に中医学の弁証論治がICD11に入り、中国・習近平政権はさらに中医学を発展させる計画を発表しています。

2020年の時点で中国とアメリカが鍼の疼痛治療のトップであり、韓国が3位、イギリス、ドイツが続きます。日本の鍼灸の科学的研究の現状が数量的に客観的に認識できます。

今の若い人は1970年代まで日本の鍼灸研究が世界をリードしていたことが信じられるでしょうか?1955年には柳谷素霊先生がフランスに渡り、半年間滞在してパブロ・ピカソをはじめとする有名人を治療しました。1961年には本間祥白先生がドイツ・ミュンヘンの国際鍼灸学会に招かれて講演しました。1964年には岡部素道先生が弟子の木下晴都先生と共にヨーロッパ・アジア・東南アジアを学術講演旅行します。1965年に第1回国際鍼灸学会が上野の東京文化会館で開かれますが、初代会長は岡部素道先生でした。

1966年
岡部 素道
「国際鍼灸学会誌発行にあたって」
『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 15 (1966) No. 1 P 1
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/15_1_1/_pdf

この当時の日本鍼灸は世界トップクラスと認識され、岡部素道先生は1969年のパリの第2回国際鍼灸学会や1975年の第4回のラスベガス大会にも招かれ、ソ連にもノモンハン事件の指揮をとった軍人ゲオルギー・ジェコフ元帥の三叉神経痛の治療に何度も招かれています(1973年)。科学派を代表する木下晴都先生も何度もソ連や中国など海外に招待されています。1971~1972年のニクソン訪中までは、中国は西側諸国にとって敵国でした。だから世界の鍼灸の中心は日本だった時代があるのです。

1965年
「キャッチフレーズ『国辱鍼灸学会』」
『自律神経雑誌』Vol. 12 (1965) No. 3 P 19-21
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1948/…/12_3_19/_pdf

これは日本鍼灸医学会会長の笹川久吾教授により、日本鍼灸治療学会が第1回国際鍼灸学会を開催したことを非難して書かれました。 笹川久吾先生は医師が指導する日本鍼灸医学会こそが日本を代表する学会であると考え、鍼灸師中心の日本鍼灸治療学会が日本を代表して国際学会を開催することが許せなかったのです。日本人だけでなく、ドイツ人医師やフランス人医師の参加者まで中傷しています。

笹川会長は経絡という言葉が大嫌いでした。当時は日本鍼灸治療学会という組織の長が岡部素道であり、代田文誌などの科学派も古典派も『日本鍼灸治療学会誌』に症例や研究を発表しました。代田文誌によれば、笹川久吾教授の「日本鍼灸学会」は医師と針灸の科学化を追求する学会であり、「日本針灸治療学会」は鍼灸師が症例や治療法を報告する学会で棲み分けをしていました。そして、科学派の代表である代田文誌先生さえ、この笹川久吾先生の「国辱鍼灸学会」という発言に怒り、決別しました。「われわれ鍼灸師は、元々がそれぞれ一国一城のあるじであり、医師の奴隷では無い」と代田文誌は誇り高く独立を宣言しています。

この当時の記録を調べると、1979年に出端昭男先生が鍼灸をバカにする発言をした医大の教授に論争を挑むなど、本当に科学派の鍼灸師の先生方が尊敬できます。「われわれは医師の奴隷ではない」と宣言する鍼灸師としての誇り高い姿に感動します。

日本鍼灸医学会と日本鍼灸治療学会の2つの学会が1980年に統合され、全日本鍼灸学会となります。

1970年代に中国の鍼麻酔が鍼灸ブームを起こすと生理学畑の人々が大量流入し、日本でも全日本鍼灸学会の成立を促しました。これは世界中で起こったメディカル・アキュパンクチャーの流れです。川喜田健司先生は「70年代以前は経絡経穴の研究が中心だったが、70年以降は鍼麻酔の研究ばかりになり、それらの研究は見向きもされなかった」とおっしゃっています。

以下、引用。

戦後日本の鍼灸を支えてきたのは「伝統的な鍼灸」を担ってきた方々だと思う。

やはり中心は陰陽五行説を軸としたいわゆる経絡治療を旗印に掲げた方々が研究や臨床を行ってきた。そのような時代には、多くの方々が臨床の終わった夜や土曜の午後、日曜日の休みの日に研究をする。

「全日本鍼灸学会の学術・研究・編集の将来について」
矢野 忠、川喜田 健司、形井 秀一
『全日本鍼灸学会雑誌 』Vol. 48 (1998) No. 4 P 402-414
https://www.jstage.jst.go.jp/arti…/jjsam1981/…/48_4_402/_pdf

「臨床の終わった夜や土曜日の午後、日曜日に研究」をしていた臨床家の鍼灸師の先生方の時代は1980年に終わりました。2021年の日本鍼灸はZOOMセミナーも大学の研究者や大学教員ばかりが取り上げられています。街の臨床家や鍼灸師、民間の独立研究者の話はほとんど耳にしません。アインシュタインはスイス特許庁に勤務しながら相対性理論を完成させたので独立研究者です。昔は多くの独立研究者が学問を支えていました。
 
中国鍼麻酔により1970年代ー1980年代に流入してきた生理学畑の「新しい科学派の鍼灸」「大学教員・大学研究者」の台頭で、1950~1970年代に世界をリードしてきた日本鍼灸の輝かしい伝統は忘れ去られ、長い低迷期に入ります。伝統鍼灸だけでなく日本鍼灸科学派も1950~1970年代は日本が世界をリードしていました。

1980年から2020年までの日本の鍼灸科学化の40年は、百年後の日本で歴史的にどのように評価されるのか興味があります。1970年代にエンドルフィンが発見された鍼麻酔の時代から、鍼灸の科学はどのように進歩したのでしょうか。今、60代の鍼灸科学派の先生方は、20歳から60歳の40年がちょうど「1980-2020」の日本鍼灸の科学化の40年と重なるわけです。

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