『失敗の本質』:ガバナンスとマネージメントの問題

2021年4月9日『日本経済新聞』「いつの間に後進国になったか」

以下、引用。

後進国に転落したのは政治及び行政が遅れたため。

科学的精神と人道主義に立脚して民主主義を立て直し、資本主義を鍛え直さない限り、先進国には戻れない。

日本経済は「失われた30年」を経験しました。1980年頃の日本は世界2位ですが実質的に世界最強の経済を誇り、学術レベルも高く、世界一の教育大国で平等で格差が少なく、少なくとも世論は反戦平和主義が優位でした。電車が遅れずに正確に運行することが国民性であり、行政の腐敗は驚異的に少ない超真面目国家でした。 

その世界第2位の経済大国・道徳大国が、2021年には縁故主義ネポティズムとウソがはびこる「失敗国家」「偽装国家」になり、『日本経済新聞』が後進国と呼ぶまでに転落しました。

1991年の冷戦終結、バブル崩壊以降の2021年に至るまで、日本経済と日本社会全体が落下しつつある中で、「日本鍼灸は世界一のレベル」と主張することは日本中の優秀な才能がすべて鍼灸に集結するくらいの奇跡でも起こらない限りありえないわけです。

自衛隊幹部が戦時中の日本軍を徹底的に分析・反省した名著『失敗の本質』にも、米軍による「下級兵士の士気と能力は世界最高、日本軍幹部の質は世界最低」という評価が繰り返し出てきます。日本軍の兵士の中には、小野田寛郎さんの例をみても超人レベルの人々が存在し、しかも下級兵士の能力は世界的レベルからみても優れていたと感じます。 

現代日本鍼灸に対しても同じ印象があります。 小野田寛郎さんのようなスーパー・ソルジャーレベルの先生もおられますし、現代日本の状況下で長年、開業鍼灸師として活躍されている先生方はすばらしいと思います。

【1950-1970年の日本鍼灸】
1950年から1970年頃の日本鍼灸は超優良資産をもっていました。1950年には長浜善夫・丸山昌郎が「経絡の研究」で経絡現象を報告しました。これは中国で承淡安先生に翻訳されて、中国で経絡ブーム・鍼灸ブームを起こしました。

1950年に日本の中谷義雄先生が「良導絡」を発見しました。

1951年、皮内鍼の赤羽幸兵衛先生が「知熱感度測定」を発明します(知熱感度測定による経絡の変動の観察第1報)。

1952年、深谷伊三郎先生が竹筒灸を発表されます(壓戟器による灸熱緩和の研究)。

1953年、ドイツの医師ラインホルト・フォル先生が井穴の電気測定をする「EAV:フォルの電気鍼」を開発しました。 これは赤羽氏法を電気測定に変えた印象があります。

1950年代にフランスのジャック・ニボイエ先生はツボの電気抵抗の研究を行い、1955年にポール・ノジェ先生と出会って、ノジェ先生に耳穴の研究発表をうながしました。それでノジェ先生の耳穴探索には電気抵抗をはかります。このような経絡経穴の電気抵抗の研究は日本の中谷義雄先生が先鞭をつけ、世界に影響して、今もリバイバルしています。

1960年代に大阪の郡山七二先生が「眼窩内刺針」を創案します。1968年には大阪の三木健次先生が「星状神経節刺針」を創案します。1971年には木下晴都先生が「傍神経刺」を開発しました。

1961年、北朝鮮の金鳳漢教授が「経絡経穴の実態としてボンハン小体を発見した」と発表し、日本の大阪医科大学の藤原知教授が追試に成功して世界的なブームとなりました。ところが、藤原知教授以外は誰も追試に成功せず、政争で金鳳漢教授が処刑されたため、忘れられた学説となりました。物理学者で韓国軍で人体の電磁波や生体電気現象を研究していた宋教授が2000年代に藤原知教授を訪れ、ボンハン小体を解剖で剖出するコツを伝授され、2009年から「プリモ・ヴァスキュラー・システム」という名前で復活しています。これは日本の藤原知先生の業績なしには有り得なかったのです。この時代の日本鍼灸はとにかくクリエイティブです。

【1971年鍼麻酔以降】
1971年7月26日にニューヨークタイムズの記者ジェームズ・レストンが李永明という医師の鍼麻酔について書き、鍼麻酔ブームが起きました。

Reston, James, “Now, About My Operation in Peking”, New York Times, July 26, 1971

1975年にスコットランドのジョン・ヒューがエンケファリンの発見を『ネーチャー』で報告しました。ほぼ同時期にソロモン・H・スナイダーがエンドルフィンを発見します。そしてカナダの獣医、ブルース・ポメランツが1976年にエンドルフィンによる鎮痛をナロキソンがブロックすることを発見します。

1977年にはヴァージニア医科大学のデビッド・J・メイヤーがヒトにおける針麻酔にエンドルフィンが関与していることを最初に証明します。

1979年にはスタンフォード大学のアブラム・ゴールドスタインがダイノルフィンを最初に報告しました。

1979年、アラン・バスバウムとハワード・フィールズが下行性痛覚抑制系を発見します。

1979年から昭和大学の武重千冬教授が大量の鍼麻酔研究を毎年のように発表され、鍼鎮痛と下行性痛覚抑制系について報告されます。

北京医科大学の韓済生先生が2Hz通電と100Hz通電による差異を研究されました。

【1997年NIHアメリカ国立衛生研究所からのEBMの潮流】
1997年にアメリカNIH国立衛生研究所が鍼の効果に科学的根拠を認めましたが、それは1980年代の ジョン・ダンディー先生による内関(PC6)の悪心・嘔吐へのランダム化比較試験の研究が決定的な影響を与えました。

1997年にアメリカNIH国立衛生研究所の声明文は「鍼の効果の科学的機序は不明だが、鍼の臨床効果には科学的根拠がある」という要旨でした。

2000年代にドイツ政府は鍼の腰痛への臨床効果についてメガトライアル(ドイツ鍼の大規模臨床試験:GERAC)を始めて2003年頃から欧米の一流雑誌で結果を報告し、腰痛や膝痛に対しては保険適応を認めました。

1991年にゴードン・ガイアットが最初に「エビデンス・ベースド・メディスン」を提唱し、ランダム化比較試験(RCT)による証拠採用という新しいパラダイムが採用されたことが鍼灸への追い風となりました。

【2021年】

鍼鎮痛のメカニズム基礎研究にしても、EBM臨床研究にしても、日本の『はりきゅう理論』の教科書は「30年遅れている」というのが実感です。「教科書の作成」という最も教育と学術の根幹の部分のガバナンスとマネージメントが出来ていない印象があります。

中国やアメリカとの差は行政・政治の差ですが、これはリーダーシップ・戦略の差です。「一般の開業鍼灸師の質は世界最高、学会・教育界・業団の幹部の質は世界最低」というのが客観的評価だと思います。

1950年ー1970年代の世界最高レベルの日本鍼灸という遺産レガシーを渡され、世界最高レベルの開業鍼灸師の技術という資産を今も持ちながら、その優良資源が全く生かされていないのが現状です。

バブル経済期の豊かな社会に社会人としての思想を形成した現在の中年以降の世代の特徴は「ブランド志向」「権威主義と科学を取り違えていること」「民主主義と人権感覚の欠如」「自文化中心主義にとらわれていること」です。柔軟でクリエイティブな発想ができず、変化にうとく、グローバルな変化に対応することに失敗しました。挫折や敗北を経験しなかったために、人間性が鍛えられていないと感じます。

未来の世代に必要なのは、この世代の『失敗の本質』を見極めて分析し、同じ過ちを繰り返さないことだと思います。科学的精神と人道主義・民主主義を立て直し、倫理観を立て直す必要があると思います。

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