追悼:ヴェトナムの鍼王、グエン・タイ・ツー教授

 
 
2021年2月21日『ヴェトナム』
「鍼の偉大な人物、グエン・タイ・ツーとの別れ」
 
 
以下、引用。
 
鍼王と呼ばれるベトナム鍼灸学会のグエン・タイ・トゥ教授が2月14日に90歳で亡くなった。
 
 
「ヴェトナムの鍼王」グエン・タイ・ツー教授は1931年生まれで、1958年に中国で鍼麻酔を学び、ヴェトナム戦争中の兵士の疼痛治療や薬物中毒治療に鍼を用いて、1977年からフランスで鍼を普及した鍼麻酔の専門家です。銃創や火傷や手足の切断の痛みに鍼麻酔を用いました。
 
 
 
2012年4月10日『ヴェトナム・ネット』
「鍼の天才」
Acupuncture genius
 
 
以下、引用。
 
「ベトナムの鍼王」「生ける伝説」というのが鍼部門の「奇跡の鍼」といわれるドクター・グエン・タイ・ツー教授に人々がつけた名前であり、彼は多くの命を救ってきた。
 
われわれはハノイの中央鍼病院の小部屋で出会った。ハノイ生まれの若きグエン・タイ・ツーは1946年の(フランスとの独立戦争で)首都防衛のための自殺部隊に参加しようとした。「その日、わたしと同士はドン・クアン・マーケット周辺のフランス部隊に対して猛攻撃をかけようとしていた」。ツーによれば、彼は当時、兵士で医師であり、彼のキャリアを開発するのは後のことだった。
 
アメリカとの抵抗戦争において、彼は前線に志願した。当時、痛みを和らげる麻酔がなかった。傷病兵は非常に痛みを伴う手術に耐えていた。彼は研究して彼自身の体で実験した後に鍼を用い、何千という致死的ケースで鍼麻酔を成功させた。それが作動すると確信してはじめて、彼は鍼麻酔を患者に用いた。
 
当時、ツー教授の手術法は世界を驚かせた。現在でも、医学の世界でこれを説明することは難しい。しかし、ツー教授は彼の人間の苦痛への共感と愛のためにそれをあえて行った。
 
彼の研究のエッセンスは2冊の本『現代の鍼』『鍼を手術に用いる』(1971-1973)にある。ツー教授は世界へ東洋医学のエッセンスを提供して、西洋医学が治せない乾癬や鍼による薬物中毒治療に貢献した。
 
1977年にフランスの外交官はベトナムにツー教授の治療を受けに来た。数カ月の鍼治療でフランスの外交官は治癒した。少し後にフランスの大統領がツー教授をフランスに招いて彼の鍼を紹介した。数年間、ツー教授は多くのヨーロッパの国々で鍼を教えた。彼は医学の世界でミステリーとして賞賛された。何千という患者をツー教授は治療し、患者はタヒチの大統領やメキシコ労働党の書記長だったりした。
 
ツー教授は国立の最初の鍼の病院を建てるように提案し、5,700人の鍼医師をトレーニングした。彼の同僚たちとともに、ツー教授は50万人の障害のある子どもたちに医療を提供し、1,200人の薬物中毒者を鍼治療した。
 
彼の多くの成功にも関わらず、グエン・タイ・ツー医師は謙虚であり続ける。「もし、私が何かを成し遂げたとしても、それは私が優れていたとか、創造的なブレークスルーを行ったからではなくて、先人からの知恵と経験を受け継いだだけだ。
 
彼が若き兵士だった頃に、医学への情熱が始まった。「多くのベトナム人がフランスの植民地主義者のために1945年に殺されたり負傷したりした。私は人々を助けるために医学を研究しはじめた」とツー教授は言う。
 
中国で1958年に学んだ後でベトナムに戻り、器材が不足するなかで鍼をいかに使うかを研究することに集中した。
 
ツー教授は彼自身の体でテクニックを試した。「私の研究の全ては現代の電子機器など何も使わずに行った。私の息子は幾晩も私の体が長い鍼だらけだったのを見ている。息子は何が起こっているのかわからずに泣き出したものだった」
 
 
 
 
グエン・タイ・ツー先生は1958年の中国で鍼麻酔を学びました。そして、死ぬまで無料で貧しい人たちを治療し続けました。
 
スリランカの鍼麻酔の大家アントン・ジャヤスリヤ教授は「はだしの医者」時代の中国で鍼麻酔のトレーニングを受け、プライマリ・ヘルス・ケア、すべての人のための医療を唱えて貧しい人たちのための鍼を実践し続けました。インドや南アジアで鍼をしている鍼灸師にはアントン・ジャワスリヤ先生の弟子がたくさんいます。
 
フレデリック・ファセフン医師は鍼麻酔時代の1976年に中国に留学して鍼灸教育を受けています。1977年に帰国するとナイジェリアのラゴスにベストホープ病院鍼灸センターを作り、これはアフリカ最初の鍼灸活動とされています。
 
フレデリック・ファセフン医師は、2018年の亡くなった年もナイジェリアで民主主義と正義をもとめる知識人のリーダーと見なされていました。1994年の選挙では、ヨルバ人のリーダーとして大統領候補になったほどですが、謙虚さゆえに他の人物に譲りました。現在のナイジェリアは原油などでアフリカ一の経済大国となり、富裕層ではワインブーム、映画製作ブームが起こっています。一方で、腐敗は泥沼で、大統領の年収は2兆円、州知事の年収は10億円ですが、一般国民は貧困と賄賂と暴力に苦しみ、暴力と利権が支配するナイジェリアで30年以上も民主化運動を続けるリーダーであり、80歳で亡くなる直前までナイジェリア政府に国立病院での鍼のトレーニングと導入を求めていました。かつての鍼の世界は、人間的に超一流の人物が集まっていたのです。
 
 

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