澄江鍼灸学派と香港の「アメリカ鍼灸の父」蘇天祐先生

 
 
 
2005年「澄江鍼灸学派の伝承者、蘇天佑の海外の医学伝統の史跡」
澄江针灸学派传人苏天佑海外医教史迹
张永树 《中国针灸》 2005年06期
 
 
承淡安先生の弟子、曽天治先生は、1936年に廣州漢興國醫學校の教材として『鍼灸医学大綱』を著し、1937年の香港に科学鍼灸医学院を設立し、1944年に『科学鍼灸治療学』を出版しています。
 
 
曽天治先生に学んだのが、蘇天佑先生です。
 
広東省のキリスト教徒の家庭に生まれ、1941年まで香港の科学鍼灸医学院で学びました。
 
1941年12月に香港・科学鍼灸医学院は活動を停止します。
1941年12月08日に、日本軍は、アメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、香港の啓徳空港のイギリス軍を攻撃しました。
1941年12月13日には、日本軍は香港・九龍半島を制圧します。
1941年12月25日には、イギリス軍は白旗をあげて、日本軍の占領が始まります。
 
 
承淡安先生の高弟であり『香港中醫藥史話』の著者である謝永光先生は『日本軍は香港で何をしたか』の著者でもあります。
 

 
そして、香港・科学鍼灸医学院は活動を停止しました。
 
1962年から香港の蘇天佑先生はマレーシアの張浚晃、シンガポールの粛憬我先生や符伯華先生、陳必廉先生に鍼灸を伝えます。
 
粛憬我先生は1955年に『中国鍼灸医学講義』を出版、符伯華先生は1985年に『中医弁証論』を出版されています。陳必廉先生は1994年に『鍼灸配穴と手法』を出版されています。
 
 
澄江針灸学派狮城传人之萧憬我(シンガポール中医師会)
澄江針灸学派狮城传人之符伯华
陈必廉(シンガポール中医師会)
 
 
 
蘇天佑先生は、1973年からはアメリカでスティーブン・ローゼンブラット先生に教えます。スティーブン・ローゼンブラット先生は『アメリカにおける鍼の誕生(The Birth of Acupuncture in America)』という文献を書かれています。
 
アメリカで、蘇天祐先生はアメリカ鍼灸の父と呼ばれています。
 
 
初代:承淡安(1899-1957)
二代:曽天治(1902—1948)
三代:蘇天祐(1911-2001)
 
 

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