中医学の「整体」と「辯證(べんしょう)」の誕生

 
 
中医学の教科書を読んでいると「整体観」という言葉が頻繁に出てきます。
しかし、『黄帝内経』以来の中国伝統医学の古典文献の中に「整体」という言葉を見たことがありません。
 
共産中国の「中医学」では「整体」という言葉が教科書の最初に出てきます。
 
ロンドン大学東洋アフリカ研究・歴史学部のフォルカー・シャイド教授によれば、中国語の「整体」とは、中国のマルクス主義哲学者である艾思奇(がいしき)がエンゲルスの影響を受けて創った概念だそうです。 
 
中国語の「整体」とは、日本語の「全体」の意味です。
だから「整体」は英語で「Holism」と翻訳されています。
 
 
Chapter 3「ホーリズム(全体論)、中国医学とシステム・イデオロギー:過去」
Holism, Chinese Medicine and Systems Ideologies: Rewriting the Past to Imagine the Future
Volker Scheid(フォルカー・シャイド)
 
 
以下、引用。
 
「ホーリズム」は中国の言葉ではない。事実、それは中国語でさえない。「整体観念」は文字通り、全体の概念と翻訳されている。漢語大辞典は「整体」を「全体」と定義している。毛沢東と艾思奇はマルクス哲学者・弁証法的唯物論の哲学者であり、仏教用語での語源をもつものを特定のものを考えるものとして定義づけた。
 
毛沢東と艾思奇は、エンゲルスのヨーロッパ弁証法的唯物論の読み込みから全体論に興味をもった。
 
個々の医師は、1930年代に科学、専門化、官僚的統治の西洋の概念をますますモデル化した医療システムにおいて、中国医学のスペースを定義するための闘いの中で、マルクス主義の用語を利用し始めた。しかし、これらの考えが中国医学の定義の中心となったのは、1949年に中華人民共和国(共産中国)が設立されてからだった。
 
中国語圏と英語圏両方での長い分析プロセスを通じて、パターンの分化は中国語の弁証法と同音異義語であり、中国医学を定義するのにイデオロギー・トレンドとして採用された。
 
1955年に、中国医学雑誌に中国医学の特徴を全体論とする論文が掲載された。
 
もう一つは、現代中国医学研究所のチーフだった秦伯未による陰陽思考の理論的議論だった。1年後の1956年に、11本のホーリズム全体論に基づく論文が著名な医師によって掲載された。これらの論文は中国医学の国家的方向性を示すものであり、全体論を志向するものであった。1950年代の中国・毛沢東主義者の政治的動向に、それは一致していた。
 
1959年に、秦伯未は最初の論文の4年後に『中医入門』を書いて、全体論=弁証と整体観念を中国医学の核心と位置付けた。
 
これは中国医学の研究の理論的基礎と議論のたたき台となった。1950年の政治的コンテキストという特定状況という起源は、その痕跡さえ消されてしまった。
 
 
「整体」と「辯證」という言葉が1950年代に唐突に現れた謎は、完全に解明されたと思います。
 
 

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