柳谷素霊先生

2008年5月30日『韓医ニュース』
「医史学で読む、近現代の韓医学(10)」
醫史學으로 읽는 近現代 韓醫學 (10)

以下、引用。

忠南醫藥組合で1937年から刊行された『漢方醫藥』には鍼灸学関連論説が見られる。「鍼灸醫學大要」は柳谷素靈が書いた鍼灸学関連論説で、確認された文章は第20号、第21号、第22号、第23号の文がある。

その構成は『緒言』
『鍼に就いて』
『鍼術の方式に就いて』(以上20号)
『灸術の方式に就いて』(以上21号)
『針灸術練習法とその徑捷(けいしょう=意味:簡便)』
『鍼灸術運用の法則(以上22号)』
『針灸術運用の法則』(以上23号)

醫史學으로 읽는 近現代 韓醫學 (9)

慶熙大学の金南一教授はまず、エドワード・サイードの名著『オリエンタリズム』から日本植民地時代の記述を始めています。

つまり、金南一先生の研究は単なる医史学ではなく、ポスト・コロニアル研究なのです。まさにエドワード・サイードからポスト・コロニアル研究は始まりました。知と権力の関係をミシェル・フーコーが解明したように、エドワード・サイードは植民地における知と権力の関係を明らかにしました。

現在、帝国医療と植民地医学が医療人類学分野で問題になっています。東京理科大学の愼蒼健 先生の研究が代表的です。

愼 蒼健「覇道に抗する王道としての医学ー1930年代朝鮮における東西医学論争からー」
『思想』 岩波書店1999年11号 65-92ページ

ジョン・ホプキンス大学医学部のジェイムズ・フラワーズ教授は、1930年代の朝鮮と日本における漢方論争を取り上げています。

2020年
「世界のための漢方ヒーリング:日本支配下の1930年代朝鮮に許された東洋医学ルネッサンス」
Hanbang Healing for the World: The Eastern Medicine Renaissance in 1930s Japan-ruled Korea Get access Arrow
James Flowers
Social History of Medicine Volume 34Issue 2 May 2021
Published: 27 January 2020

ジェイムズ・フラワーズ教授は、1930年代の朝鮮における漢方ルネッサンスを取り上げています。

1935年に朝鮮で医学雑誌『東洋醫學』が出版されます。

以下、2020年「世界のための漢方ヒーリング」より引用。

1935年に日本漢方雑誌で東洋医学のルネサンスのコンセプトが使用された。

この新しいコンセプトは、朝鮮の1934年漢方ルネサンスの1年後のことだった。日本での「漢方」という言葉の公式な使用が、1934年の朝鮮での「漢方」という用語の使用の1年後であったことは特筆すべきである。

1936年には、漢方医学協会は漢方の範囲を日本、中国、満州国として、朝鮮はすでに日本の一部であった。

明治維新を支えたのは、蘭学者や蘭方医が多かったです。
明治維新政府は漢方・東洋医学を潰した張本人です。現在の日本政府・支配層の人脈や思想は基本的に明治維新政府の系譜にあります。

1910年に和田啓十郎先生が『医界之鉄椎』を出版し、滅びかけた漢方の復興を宣言しました。

『医界之鉄椎』を読んだ湯本求真先生が和田啓十郎先生に入門します。湯本求真先生は医師でしたが自分の家族と長女を亡くして西洋医学に疑問をもっていたところ、『医界之鉄椎』に出会いました。湯本求真先生は1927年に『皇漢医学』を出版します。

1927年(昭和2年)古方派・大塚敬節が湯本求真に入門。
1928年(昭和3年)折衷派・細野史郎が新妻荘五郎に入門。
1930年(昭和5年)後世派・矢数道明が森道伯・矢数格に入門。
1933年(昭和8年)矢数道明が大塚敬節に出会う。

1934年に日本漢方医学会が発足し、月刊機関紙『漢方と漢薬』が出版されます。

1935年に拓殖大学で漢方講習会、偕行学苑が発足します。偕行学苑は大塚敬節・矢数道明・矢数有道・木村長久・清水藤太郎・柳谷素霊・石原保秀の7名が講師となり、鍼灸の講師は柳谷素霊が担当しました。1944年まで毎年行われ、受講生700名からは戦後の漢方を支える人材が生まれました。

1938年には東亜医学協会が発足しました。これは中国・満州国・日本が一緒になって東洋医学の学校をつくろうという運動です。機関紙『東亜医学』を中国と満州に送っていました。

1940年には矢数道明先生と龍野一雄先生が満州国で会議に参加されています。

当時の日本の東洋医学者は、西洋医学の学閥が圧倒的なパワーを持つ日本本土ではなく、韓国のソウルや満州などの植民地から東洋医学を復興しようというヴィジョンをもっていました。

おそらく、1937年の柳谷素霊先生の朝鮮での『漢方醫藥』での鍼灸論文は、この歴史的な大きな流れの一部なのではないでしょうか。

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