近代とポスト近代

2008年6月9日『韓医ニュース』
「医史学で読む、近現代の韓医学(11)」
醫史學으로 읽는 近現代 韓醫學 (11)

以下、引用。

この時点で私たちは歴史学界で「近現代」と分類する時期の一部に含まれている日本統治時代の重要性に注目すべき状況に来ている。

この数年、清末から中華民国の国医(中国伝統医学)の歴史を調べていました。

1928年には大阪医科大学で学んだ旺企張が中国伝統医学の廃止案を提案し、1929年2月に大阪医科大学で学んだ余雲岫が『医学革命論集』を出版し、中国伝医学の廃止を提唱しました。

中華民国の初代総統・孫文は西洋医師でしたし、魯迅は医学を学ぶために日本の仙台医専に留学していました。

当時の日本は明治維新を達成し、アジアの優秀な若者にとって憧れの国であり、明治維新の際に東洋医学を滅ぼし、西洋医学を導入した日本こそが先進国でした。

明治維新以降の日本のアイデンティティは「アジアで最も早く近代化し、欧米列強に対抗し得た国」であったことです。

朝鮮での近現代の伝統医学史を学ぶと、(日本の)近代医学との相克こそがテーマになっています。

ところが、1991年の冷戦終結、バブル経済の崩壊、1995年のウィンドウズ95発売以降のインターネット革命により世界は激変します。

補完代替医療分野でも1991年のEBM革命から1997年のアメリカNIHによる鍼の科学的根拠を認める声明があり、世界は激変しました。

ドイツで鍼灸の保険支払いが認められ、2021年にはアメリカの公的保険メディケア・メディケイドでも鍼の保険支払いが認められました。

世界の新興国は伝統医学省や補完代替医療、統合医療に関する法律を整備し、国家予算を補完代替医療・統合医療に注ぎ込み、韓国やインドのように観光資源としたり、中国のように他国に文化的影響を及ぼすソフトパワーとして政治的に利用されています。

日本は文明自体が近代化に文化的にフィットしていたこともあり、近代に過剰適応した文明を築き上げ、大成功しました。
だからこそ西洋医学も実験医学にこだわり、EBM革命に乗り遅れました。
明治維新以降の近代医学を誇りにしていたからこそ、世界的な補完代替医療革命にも完全に乗り遅れました。

教育も近代教育システムが1980年代まで世界最高品質と大成功だったため、1990年代以降のインターネット知識革命に乗り遅れました。

明治維新から1980年代バブル経済までの成功体験が、現代日本の文化的ボトルネックです。

論理的に考えれば、この文化的袋小路から抜け出すには、意図して成功体験を捨てる必要があります。明治維新や戦後の奇跡の復興といった成功体験を批判し、乗り越えるプロセスが必要です。

しかし、われわれは口先では伝統を誇りながら、近代化以前と以降の記憶=歴史を失ってしまっています。批判しようにも、思い出せない(記憶がない)のです。

だから、日本の東洋医学が明治維新以降の東アジア、中国・韓国に与えた影響の詳細も知らないし、それが日本に逆輸入されても、新しいものとして受け取っています。

さらに、東アジアが日本に与えた文化的影響についても同じように認識出来ていません。中国外気功や西洋レイキのオリジナルが日本の霊術であったり、薬膳という言葉が日本オリジナルで逆に日本に輸入されたりといった東アジアの絡み合った歴史は、まだ解明されていないのです。

これは戦争や植民地支配といった歴史的経緯と伝統医学がナショナリズム国粋主義と融合しやすいという事情が関連しています。近現代史という道には落とし穴が多過ぎます。

近代からポストモダンへの移行期である現在は、近現代のグローバル・ヒストリーの中の補完代替医療の歴史こそがホットスポットになると思います。

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