【BOOK】『金日成長寿研究所の秘密』

『金日成長寿研究所の秘密』
金素妍著
文藝春秋 (2002/3/1)

著者の金素妍先生は、ボンバン小体の金鳳漢の直弟子であり、北朝鮮の鍼灸の達人でした。北朝鮮の金日成主席の主治医でしたが、脱北して現在は韓国にいます。 金素妍先生の記事を読んで、いろいろなことを考えました。

『金日成長寿研究所の秘密』によると、金日成は20代の若者から輸血を受け、特殊な漢方を飲み、ルーマニアのチャウシェスク大統領の不老長寿研究所が創った不老長寿薬、ジェロビタールを愛用していました。 

チャウシェスク大統領の長寿研究所の医師、アナ・アスランは、チャウシェスクのためにジェロビタールを開発しました。チャウシェスク大統領の統治下で国民は飢え、エイズが蔓延しました。チャウシェスク大統領は、ルーマニアの孤児たちを洗脳して秘密警察、セクリタテアを組織し、街中に盗聴器をとりつけて恐怖の監視国家をつくった人物です。

共産圏の医師たちは国家の奴隷でした。

ソ連の医師たちは、反体制派や同性愛者に「精神異常」のレッテルを貼り、精神病院に送りました。ソ連・ロシアといえば「毒殺国家」です。ブルガリアの作家、ゲオルギー・マルコフは、1978年に亡命先のロンドンで突然、傘の先で足を突かれ、4日後に死亡しました。マルコフの遺体からは猛毒、リシンが検出されました。リシンはKGB本部、ルビヤンカのラボX・毒物研究所のものであり、ソ連の医師たちが開発しました。

しかし、冷戦時代の西側体制の医師たちも彼らを責めることはできません。中南米では、独裁政権の医師たちがアカ狩りをして、拷問に参加していました。これは名著『拷問と医者―人間の心をもてあそぶ人々』(ゴードン・トーマス著、朝日新聞社1991年)に詳細に書かれています。拷問を続けると、脳内でエンドルフィンが出て拷問の効果がなくなるのですが、その際にはナロキソンを医師が注射して、エンドルフィンの効果を下げた後で拷問を再開します。

アメリカでは、グアンタナモ刑務所でアメリカ人医師と心理学者たちによる水責め拷問が非難されたのは2015年のことです。CIAから依頼を受けて水責め拷問テクニックを開発した医師は「人道的な拷問テクニックの開発」に対してCIAから80億円の報酬を受けていたことが大きく報道されました。 

水責め拷問で死にかける前に、医師が治療を行い、容疑者が健康を回復したところで水責め拷問が再開され、「人道に配慮した拷問」という触れ込みでした。

ナチス・ドイツでは、医師や看護師が率先して知的障がい者・精神障がい者・身体障がい者を「生きる価値の無い命」と呼んで殺害しました。

2010年、関係者の医師たちのほとんどが死亡してから、ようやく罪を少しだけ認めたという医師の態度については、「T4作戦」を調べた学者全員が述べています。ドイツの医師や看護師は、ドイツ政府からT4作戦の中止命令が出ても、安楽死を続け、彼らは戦後も何の処罰もされませんでした。弱肉強食の社会ダーウィニズムや優生学が学問でマジョリティを占めた社会では、それは「科学的な」態度だったからです。

ドイツ語のウィキペディア「T4作戦」には「個人的継続」という一章があります。医師や看護師たちが、積極的に障害者たちを殺し続け、T4作戦を個人的に継続しました。自分たちの価値観だけが正しいと信じ込み、他人を「生きる価値がない」と決め付ける態度は傲慢そのものです。

『精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー』
小俣和一郎 講談社現代新書 (1997/07)

スイスの精神科医、カール・グスタフ・ユングやスイスの精神科医、ルードヴィッヒ・ヴィンスワンガーはナチス協力者でした。戦後のスイスでも、これらのナチス・ドイツ系医学者たちは何の処罰も受けずに本を出版し、後進の医学者に影響を与えました。

歴史的に戦前からドイツ語圏とつながりの深い日本の精神医学も大きな影響を受けました。日本の1990年代の哲学や精神医学の愛好者の若者たちは、戦前にこれらのナチス精神医学者が何をしたかも知らずに、ユング学者で文化庁長官になった河合隼雄や木村敏をはじめとする日本人大学教授が書いた本から影響を受けたのです。わたしもその1人です。若くてだまされやすいとはいえ、本当に後悔しています。

ナチス・ドイツを支えた性格、権威主義的パーソナリティは、ドイツやスイスの権威主義の医療業界にこそもっとも見られたものです。

2018年1月19日『京都新聞』
「金沢と京都を結ぶ線<元731部隊調書を読み解く>」

以下、引用。

京大の原爆調査班の論文で「金沢医大教授石川太刀雄氏等がこの剖検に援助を与えられた」とあるのを読んで心がざわつく。石川は京大医学部出身、ペストなどの細菌戦を研究した旧満州(中国東北部)の関東軍防疫給水部「731部隊」第六課病理班長だった。

京大班の被爆者標本は米軍が持ち去り軍事機密とされた。一方、石川は満州から731部隊が解剖した病理標本多数を戦時中に金沢に持ち帰り、戦犯訴追されない代償に米側に渡す秘密取引をしたと、日本の研究者が指摘してきた。

京大病理学教室は731部隊に石井四郎部隊長ら医学者を送り込んだ。その系譜に一体何があり、病理学はどう関わっているのか。これは京都の歴史であり、現代の闇だ。

米国国立公文書館は2007年、「ナチス戦争犯罪と日本の戦争犯罪10万ページ分の記録を機密解除する」と発表したが、加藤名誉教授はこの中から、CIA個人ファイルを分析してきた。731部隊の石井部隊長ファイルやヒル・レポートなど、731部隊を追う研究者らが個別に発掘して内容を既に紹介済みの報告書も解除文書に含まれる。

2000年代から2010年代にかけて、アメリカ公文書の公開によって、鍼灸「皮電点」の石川太刀雄が731部隊の中心人物の一人であり、戦後もミドリ十字(薬害エイズ)の創設に関わり(皮電計はミドリ十字が発売)、原爆被爆者の解剖および解剖標本のアメリカへの引き渡しに関わってきたことが判明してきました。

アメリカ公文書館の資料を少しでも調べた方なら知っていますが、石川太刀雄は731部隊の実験資料をアメリカ軍に引き渡すことで戦犯訴追を免れました。そして戦後はアメリカ軍の御用学者として、アメリカの広島における放射能被曝を隠蔽する御用学者のリーダー人材コーディネーターとして活躍しました。その御用学者を最大限の賛辞で遇してきたのが東洋医学業界の先輩方です。

そもそも、日本において明治維新以降に西洋医学が優位になった理由は、軍事医学として「使える」からです。戦争に利用できるからです。

看護師さんは、つい最近、6年ほど前から、見たくない過去と対峙するようになりました。日本赤十字社の看護師は「20年間は国家有事の日に際せば本社の招集に応じ」という応召義務があったそうです。20歳で看護学校を卒業しても、40歳までは応招義務で戦地に行く義務がありました。この看護師さんの応召義務は1955年まで存在したそうです。赤紙を受け取り、赤ちゃんを日本に置いて戦地に出征した看護師さんもたくさん居ます。ナイチンゲールの昔から、戦争と看護師は切り離せないのです。

『戦争と看護婦』
川嶋みどり 国書刊行会 (2016/8/15)

理学療法士という職業を最初につくった歴史的な病院は、アメリカ最大のウォルター・リード陸軍病院であり、そこでは傷ついた若い兵士たちをリハビリして、再び戦場に送ったり、あるいは社会復帰させるのが仕事です。

西洋医学そのものが戦争を補完するシステムが起源となっている印象があります。

オウム真理教の医師、林郁夫は慶応大学医学部を卒業後、アメリカ留学した心臓血管専門医でありながら、地下鉄サリン事件を起こしました。逮捕されたら、今度はすぐに生殺与奪の権力をもつ司法に全面協力しました。知能はものすごく高いのに、権力者の言うがままに行動する奴隷です。

カナダ、マギル大学でCIAが行った秘密の洗脳実験、MKウルトラ計画を行った精神科医、ドナルド・ユーウェン・キャメロンは、1952年から1953年はアメリカ精神医学会の会長、1958年から1959年はカナダ精神医学会の会長です。1961年から 1966年まで世界精神医学会の会長でした。 

1967年に亡くなり、1974年に『ニューヨークタイムズ』でMKウルトラ計画についての最初の報道がありました。高い知能を持ち、名誉もあり、経済的にもめぐまれているのに、なぜ権力者に操られるのか、強者におもねり、弱者に威張る権威主義的パーソナリティ以外に説明ができません。

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