【BOOK】『漢方気血水論の研究』

『漢方気血水論の研究』
寺澤 捷年 (てらさわ・かつとし)
あかし出版: ‎ 2018/3/1

日本と中国の東洋医学の歴史は異なります。
江戸時代以前の日本の伝統医学は、仏教医学が中心です。安土桃山時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵で捕虜となった学者、姜沆は、藤原惺窩に朱子学を伝え、藤原惺窩の弟子であった林羅山は朱子学を江戸幕府の官学とします。

江戸時代に仏教は檀家制度により「葬式仏教」となり、思想としてのダイナミズムを失います。江戸時代初期は官学である朱子学(新儒学)の時代です。中国の金代や元代の金元医学が中心でしたが、中期に朱子学への反発から「春秋時代の孔子にかえれ」という「古学」が京都に生まれます。
さらに、金元医学への反発と古学思想の影響から「傷寒論にかえれ」という日本独自の古方医学が生まれ、中国の陰陽五行説や経絡学説を否定する吉益東洞の「古方」が日本漢方の中心理論となりました。

これに対し、吉益東洞の長男、吉益南涯は1771年に『気血水薬徴(きけつすいやくちょう)』を著し、気・血・水学説を提唱します。吉益東洞の中国否定から、息子の吉益南涯による中国伝統医学の理論への揺り戻しといえます。

寺澤先生は「気虚スコア」「気鬱スコア」「血虚スコア」「瘀血スコア」「水滞スコア」を次々と発表しました。『症例から学ぶ和漢診療学』は名著であり、私もこの本で学び、影響を受けました。

日本での気血水学説がどのように形成されたのかを記した本が『漢方気血水論の研究』です。

元(モンゴル)代の金元四大家の朱丹渓の気血痰鬱理論が、中国の気血津液弁証と日本の気血水学説の根源となります。ただ、朱丹渓の理論は整理されていません。
吉益南涯が『気血水薬徴』で気血水学説を提唱します。
1971年の鍼麻酔ブーム、1972年のニクソン訪中を経て、1974年、中国政府の教科書に初めて「気血津液弁証」が掲載されます。弁証論治は1950年代に共産主義中国で生まれた新理論です。

1980年代に、日本の寺澤捷年先生や中国の中西医結合学派の間で「瘀血スコア」をめぐって、有意義な議論がありました。

1983年
「血瘀証の暫定的診断基準」
血瘀证诊断试行标准
第一次全国活血化瘀研究学术会
《江西中医药》 1983年06期

1983年「瘀血証の症候解析と診断基準の提唱」
寺沢 捷年,
『日本東洋医学雑誌』1983 年 34 巻 1 号 p. 1-17

1986年「瘀血の国際交流を想う」
小川新
『中医臨床』 7(1): 5-5, 1986

1988年「血瘀証診断標準の研究」
血瘀证诊断标准的研究
王阶 陈可冀 翁维良
《中西医结合杂志》1988年第10期

1989年 寺澤捷年
「瘀血診断の現在」
The presentation of diagnostic criteria for “Yu-xie” (stagnated blood) conformation
Terasawa K
Int. J. Oriental Medicine 14, 194-213, 1989 

1990年代に寺澤先生が『症例から学ぶ和漢診療学』で、気血水理論を現代日本で適用可能な形にしたと思います。私の理解は、この1990年代寺澤捷年先生の理論がベースになっています。

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