『臨床医学の誕生』
ミシェル・フーコー
みすず書房 (1969/12/30)
医学史家、アッカークネヒトは『パリ病院1794~1848』でフランス革命がそれまで存在しなかったパリ病院学派を産んだことを描写しました。
1961年にフランスのミッシェル・フーコーは最初の著作『狂気の歴史』を出版し、続けて『臨床医学の誕生』『言葉と物』『知の考古学』『監獄の誕生』を出版します。
フーコーの『臨床医学の誕生』とアッカークネヒトの『パリ病院1794-1848』は、同じ時代を描きながらまったく異なります。しかし、西洋医学の中で 1794~1848のパリ病院学派が重要であることは医学史家の共通認識だと思います。
古代ギリシャのヒポクラテスの時代、医師は放浪・遍歴していました。イギリスのパーキンソン病を記述したジェイムス・パーキンソンは外科医・薬剤師ですが、競馬場や酒場パブで患者をみつけていたと言われています。医師は患者の自宅に行って、診療しました。
フランス革命の啓蒙思想のなかで、のちに医大となる「健康の学校」と公立の病院が生まれていきます。この患者を集める病院の誕生が重要でした。
さらにフランス革命後の戦争が相次ぎ、外傷学が発達していきます。外科医のフランソワ・ショパールとジャック・リスフランに由来して、戦争の凍傷で壊死した足を切断する部位としてショパール関節とリスフラン関節が命名されました。
当時、イタリアではモルガーニの解剖学により、臓器別の病変という考えが広がります。フランスのパリ病院学派の特徴は、病理解剖学による局所の重視と診断です。大切なのは、症状よりも徴候です。典型的なのは、当時のフランスを代表する医師、シャルル・ラセーグのラセーグ徴候です。1881年に『医学生のための聴診と触診』が出版されました。1816年にラエンネックが聴診器を発明し、ナポレオンの主治医、コルサヴィールが打診をフランスに紹介し、円形の解剖学劇場をつくっていきます。亡くなった患者は解剖されて、臓器の病変から病気が分類されていきます。
以下の論文は、パリ病院学派の特徴を描写しています。
2024年9月4日
「病院は科学の灯台か 1800年頃のパリの医学界」
The Hospital as a Beacon of Science? Parisian Academic Medicine around 1800
by Frank W. Stahnisch
Histories 2024, 4(3), 369-393;
Published: 4 September 2024
https://www.mdpi.com/2409-9252/4/3/18
【パリ臨床学派の最も重要な部分】
近代の病院の設立
病院で死亡した社会的に疎外された貧しい患者の死体を体系的な解剖に利用し、臨床症状と死後に確認された変化との相関関係を調べる。
病理解剖学の発展と医学教育への統合
大学病院における外来および外来の新しい研修形式に基づいて、診断および病理学の目的でベッドサイド観察が大幅に増加した。
患者の理学検査、触診、聴診、診断器具の使用は、医学教育と病院治療において広く普及した標準となった。
『臨床医学の誕生』を30年ぶりに読んで気づいたことがあります。1800年代にフランス・パリの病院で独特の思想に基づいた臨床医学が生まれていくのですが、治療法について書いていないことです。
アッカークネヒトの『パリ病院―1794~1848』には1800年代前半にパリで流行した治療法が書かれています。それは瀉血、吸い玉(カッピング)、鍼治療、灸治療、特に電気鍼です。そしてヒステリーへの催眠です。理学検査法で診断して、治療はいまの代替医療なのです。薬物は、ケシからつくられたアヘン・チンキ、マラリアの特効薬として植物キナから分離されたキニーネなど植物療法です。アスピリンの発見は1897年です。アスピリンも柳の樹皮のサリチル酸です。抗生物質の発見は1929年で、実用化は1940年代です。インスリンも発見は1920年代です。ステロイドが実用化されたのは1940年代から1950年代です。これらの西洋医学の強力な武器が開発されたのは20世紀に入ってからなのです。
外科も切断術はあったものの、リスターがフェノールによる消毒を開発したのは1867年で、消毒法で切断術の死亡率が下がるのは19世紀の末です。フランスの19世紀の医学は、聴診器や打診で徴候を重視し、病理解剖によって病気の局所を研究し、理学検査法によって診断していきますが、治療については瀉血が中心でした。この診断と治療の乖離は、われわれの感覚とかけはなれていると感じます。
フーコーは、この時代による認識をエピステーメー、トマス・クーンは科学革命のパラダイム、古いドイツ哲学ではイデオロギーと呼んでいました。19世紀のパリ病院学派が創った理学検査法は、現在の鍼灸師教育にまで影響を与えています。わたしの通っていた鍼灸学校では医大の解剖実習を見学させていただく機会があり、これもパリ病院学派の医学の影響だと思います。
しかし、2025年の現在、AIの発達により現状の診断は変わらざるをえないと思います。日本鍼灸にまで影響を与え続けてきたパリ病院学派の影響はどうなるのか、過去を振り返ることは今後の予測の一助になると思います。
Many thanks to Gordon Johnson(Pixabay) for a beautiful featured image!
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