鋼鉄の鍼


2025年6月25日 香港の新聞『文匯報』
「海昏侯はいつも鍼灸をしていたのか 海昏侯墓から中国で最古の鋼鉄製の毫鍼が発見された」
侯爺常針灸?海昏侯墓發現我國迄今最早鋼製醫用毫針


以下、引用。

海昏侯墓の考古学発掘チームの楊軍によれば、この医療用鍼は劉賀の墓の金漆の木筒の玉管からみつかった。
玉筒の断面から5本の鍼が見え、そのうち1本しか引き出せなかった。断面の直径は、0.3~0.5mmの鉄鋼製品であることが判明した。


人類の歴史は、石器時代、銅器時代、青銅器時代を経て、鉄器時代となります。イタリアの銅器時代のアイスマン・エッツイは、純度99.7%の純銅の斧をもっていました。銅の融点は1,085度とかなりの高温で、銅鉱石や孔雀石を溶かし、土器などの鋳型に流し込む必要があります。

銅とスズの合金が青銅です。スズの融点は231℃です。紀元前3,000年のメソポタミア文明のシュメールで人類初の合金である青銅が発明されました。中国では、殷の甲骨文字は青銅器に刻まれました。神戸の白鶴美術館には殷代の素晴らしい青銅器のコレクションがあります。また、秦の戦士たちは青銅の剣を使っていました。殷から周の春秋時代までは青銅器時代であり、戦国時代に製鉄ができるようになりました。

鉄器時代の前漢代の河北省、満城漢墓の遺跡から金鍼が出土しています。中国・三星堆遺跡からも黄金マスクが出土しています。金は柔らかく、加工しやすく、錆びないメリットはありますが、柔らかすぎて人体に刺すのは至難です。わたしは最初に金鍼を切皮したときは見事に曲がりました。

中国は戦国時代後期には鉄鉱石を高温で溶かした液状の銑鉄をつくる技術がありました。これは青銅器を創る技術の応用です。銑鉄は炭素が多すぎてもろいために、前漢時代に銑鉄をハンマーで叩いて炭素を抜く炒鋼法ができます。鉄を固くして鋼鉄にします。

日本では弥生時代に銅の刀がつくられ、福岡市で出土しています。銅鐸や銅矛など銅器時代です。弥生時代の青銅の武器の鋳型も、2023年に福岡で発見されました。


2023年11月2日『朝日新聞』
「弥生時代の青銅武器の鋳型、全国で初めてセットで発見  福岡の遺跡」
https://www.asahi.com/articles/ASR2B5GV6R23TIPE01M.html

また、1980年代まで学術界では弥生時代の鉄剣は朝鮮半島からの舶来品と見なされていましたが、学術研究を読むと、国産も確実に存在するようです。


2007年「弥生時代の鉄剣・鉄刀について」
会下 和宏
『日本考古学』2007 年 14 巻 23 号 p. 19-39

2005年「わが国における製鉄技術の歴史ー主としてたたらによる砂鉄製錬について」
舘 充
『鉄と鋼』2005 年 91 巻 1 号 p. 2-10

6世紀頃から、日本では砂鉄を使ったたたら製鉄が行われてきました。衝撃的なのは、1960年代に法隆寺や薬師寺の補修の際に、法隆寺創建の607年に使われた和釘が錆びずに出てきたことです。

1962年「古代鉄釘の冶金学的調査」
梅沢義信『鉄と鋼』 48 (1), 44-49, 1962
https://www.jstage.jst.go.jp/…/1/48_1_44/_article/-char/ja

2023年から2024年にかけて、錆びない和釘の研究が進展しました。


2024年12月12日『読売新聞』
「1000年さびない和釘、法隆寺にも…製法の研究・再評価進む」
https://www.yomiuri.co.jp/science/20241206-OYT8T50017/

日本古来の木造建築には、日本独自の製鉄技術で作った金物「和釘」が使われている。建立から1000年以上がたつ法隆寺(奈良県)や薬師寺(同)からさびていない和釘が発見されて以降、失われた製鉄技術の研究と再評価が進んだ。朽ちない鉄「和鉄」は、どのようにして生まれたのか。
和鉄が注目されたきっかけは1962年、日本鋼管(現・JFEホールディングス)の梅沢義信氏らが発表した論文だ。法隆寺の金堂にあった創建時(607年)の和釘が、ほとんど腐食していないことを報告。それから和鉄の秘密を探る研究が進んだ。
昨年、和鉄の研究に大きな進展が見られた。試験分析会社日鉄テクノロジー(兵庫県尼崎市)と大手ゼネコン竹中工務店(大阪市)が和釘を分析し、論文を発表した。公益財団法人「文化財建造物保存技術協会」が古い神社の和釘を提供。
研究者は皮膜表面の微細な隙間に着目している。木材に和釘を打った後、皮膜の隙間から木材中の水や酸素が入り、鉄がさびて隙間を埋める。皮膜と微小なさびを併せ持つ「複合皮膜」の構造ができ、鉄が腐食に強くなるとみている。
研究成果を基に、竹中工務店と日鉄テクノロジーが「朽ちない鉄」の再現に挑戦した。
こうして両社が現代版の和鉄「REI―和―TETSU」を共同開発した。昨年、福岡県にある国の重要文化財「太宰府天満宮末社志賀社本殿」の修理で、現代版和鉄の釘448本が使用された。



日本刀の分野でも、玉鋼を作るためのたたら製鉄場が島根県奥出雲町で復興しています。

わたしは鍼灸学校3年生の時に、初めてディスポのステンレス鍼を使用しました。それまでは銀鍼で切皮と刺入をしていました。管鍼法では銀鍼とステンレス鍼はまったくの別物であり、別の技術が必要となります。現在の中国のステンレス鍼と古代中国の柔らかい金鍼・銀鍼や、0.3~0.5mmの鋼鉄の鍼は撚鍼法でも違う技術が必要だと思います。

Cover image by ほいくん

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