手根管症候群と神経可塑性

 

 

2017年3月2日『ニューヨークタイムズ』
「鍼は、手根管症候群の手首の痛みを和らげる」
Acupuncture Can Ease Wrist Pain of Carpal Tunnel Syndrome

 

以下、引用。

鍼は手首の痛みを和らげることができる。そして研究者たちは脳神経システムの変化によってそれを説明しようとしている。

科学者たちは80人の軽症または中程度の手首での神経圧迫による手根管症候群患者を3分の1グループにランダムに割り付けた。

最初のグループは手首・足首に鍼を受けた。2つ目のグループは手首のみに鍼を受けた。そして3つ目のグループは偽鍼を偽のニードルを使って手首の近くにプラセボとして受けた。

fMRIを使って神経の状態を前後で比較して、鍼が脳と神経に影響するのを計測した。

全てのグループで痛みからの解放があったが、鍼グループのみが脳中枢神経の痛み中枢において生理学的変化が見られたが、プラセボではその変化は見られなかった。脳の計測による改善はテストの3ヵ月後でも継続したが、このような長期的効果はプラセボではなかった。この研究は脳の研究である。

「客観的指標を使って鍼の効果を計測したのが興味深い」とハーバード大学の研究者ヴィタリー・ナパドウは言う。「偽鍼は痛みには効くが、鍼は客観的・生理学的・最終的に効果がある」とナパドウは言う。

「鍼は安全でリスクが低くて副作用の少ない介入だ。最初のアプローチとして完璧であり、外科手術のような侵襲的治療法を試す前に考えたほうがいい」とナパドウは言う。

 

鍼の得気の研究者、ヴィタリー・ナパドウの最新研究です。

ヴィタリー・ナパドウは鍼で響かせた得気の状態の際に人体に何が起こっているかをfMRIで研究し続けてきました。

 

2017年3月2日『ブレイン』のヴィタリー・ナパドウ研究
「手根管症候群の鍼における一次体性感覚野の書き換え」
Rewiring the primary somatosensory cortex in carpal tunnel syndrome with acupuncture
Yumi Maeda Vitaly Napadow et al.
Brain awx015.02 March 2017
DOI: https://doi.org/10.1093/brain/awx015

 

 

【手根管症候群の鍼治療のEBM研究の歴史】

2002年のオランダの研究グループは鍼に短期的利益はないとしています(※1)。

 

2003年の南オーストラリア大学のコクラン・システマティック・レビューはレーザー鍼に利益を認めませんでした(※2)。

 

2009年の台湾の研究グループは77人の患者を鍼治療群とステロイド剤内服群に分け、大陵と内関を用いて4週間8回の鍼治療を行い、鍼はステロイド剤の内服と同程度の効果があったというランダム化比較試験の結果を報告しています(※3)。

 

2010年のカナダの研究グループが書いたシステマティック・レビュー(※4)と、2011年の韓国、釜山大学の研究者とエツァート・エルンストが書いたシステマティック・レビュー (※5)では、ランダム化比較試験の質に焦点をあてて、より質の高い比較試験が必要としています。

 

2011年の台湾の研究者たちは(※6)やはり、短期間の鍼治療がステロイド剤よりも改善を長期間もたらすという研究を発表しました。

 

2012年のイランのイスファファン医科大学の研究者たちが、ランダム化比較試験で鍼はビタミン剤や副子やプラセボ鍼より有効であるという結果を報告しました(※7)。

 

2014年の台湾の中医大学の研究では、大陵と内関の電気鍼を6週間24回の治療で握力が向上し、電気生理学検査、チネル徴候が改善したと報告しています(※8)。

 

2015年のイランのシラーズ医科大学の今回の研究はこのような臨床研究の流れの一つです。

 

イランのシラーズ医科大学の医師モハメジャヴァド・ハディアンファード
『鍼と経絡研究雑誌』2015年8月号掲載
「手根管症候群(CTS)の鍼の効果と抗炎症効果」
Efficacies of Acupuncture and Anti-inflammatory Treatment for Carpal Tunnel Syndrome
Mohammadjavad Hadianfard,et al.
October 2015Volume 8, Issue 5, Pages 229–235
DOI: http://dx.doi.org/10.1016/j.jams.2014.11.005

以下、引用。

われわれの結果では、鍼治療を受けた手根管症候群の患者はイブプロフェン治療を受けた患者と比較してより大きな痛みの減少と改善を示した。

 

 

日本では、2002年に日本疼痛学会で帝京大学麻酔科の高橋秀則先生のグループが発表した研究は面白かったです。難治性手根管症候群という病名が使われていますが、これらは自殺未遂のリストカットによる手根管症候群でした。その難治の症状が電気鍼の治療で改善していたのには驚きました。

 

「手根管症候群に対する鍼灸療法の効果」
森田 守, 細越 琢, 山田章盛, 小川真生, 斎藤千恵, 高橋秀則
『PAIN RESEARCH』 17(3) : 132, 2002.

 

西洋医学的には、2000年代の国際的な研究によって手根管症候群に関する認識は大きく変わったと思います。

 

【臨床の留意点】

日本では手根管症候群(CTS)について日本神経治療学会が「標準的神経治療:手根管症候群」を2007年に発表しています。これは必読です。

 

日本神経治療学会「標準的神経治療:手根管症候群」
(リンク先にPDFファイル有り)

 

【手根管症候群の基礎研究の歴史】

手根管症候群の原因としてアミロイド沈着やキーンベック病、結核性腱鞘炎、偽痛風による石灰沈着やガングリオンは鍼灸不適応だと思います。手根管症候群全体の4分の3を占める特発性手根管症候群が鍼灸治療の対象だと思います。頚椎症があると手根管症候群が起こりやすいという研究もあり、ダブル・クラッシュ・シンドロームの存在は要注意です。

基礎研究としては2013年の中国・大連医科大学の論文(※9)では、電気鍼は手根管症候群の神経周囲の炎症を抑制し神経周囲組織の虚血・腫脹を改善するとしており、これが最も妥当な見解かと思います。

ユニークなのはハーバード大学のヴィタリー・ナパドウ博士の研究です。ナパドウ博士は2007年の『ペイン』という学術雑誌で「手根管症候群に鍼治療して健康人ボランティアに鍼した状態をfMRIで観察すると、手根管症候群患者の脳は健康人の脳と全く異なる反応をしている」と発表しました。

このナパドウ博士の研究(※10)は、手根管症候群は単なる手の局所のエントラップメント・ニューロパチー(絞扼性神経障害)と信じていた私には衝撃でした。

そしてナパドウ博士の研究を読む限りでは、鍼は局所循環を改善する以上に脳のレベルで島皮質や楔前部や帯状皮質などペインマトリックスやデフォルト・モード・ネットワークなど痛みの記憶や認知や情動を書き換えるようなのです。ナパドウ博士は2012年(※11)と2013年(※12)に論文を発表しています。

さらに、ナパドウ博士の研究グループであるロチェスター大学のノーマン・ケトナー博士が2015年5月にアメリカ疼痛学会でfMRIを使った手根管症候群とハンドペイン(単純な手の痛み)に関する研究を発表しました。

 

2015年5月28日メドスケープの記事
「鍼は、手の痛みの患者の脳を変化させる」
Acupuncture Causes Brain Changes in Patients With Hand Pain

 

2015年5月14日にフロリダ州で行われたアメリカ疼痛学会の第34回定期サイエンティフィック・ミーティングでの発表です。

以下は記事から引用。

「この研究から導かれるのは、手根管症候群は強力な局所の神経構成要素でありながら脳機能に影響しており、本態性手痛はそうではないということです」とフロリダ州ゲインズヴィルのペインリサーチ・アンド・インターベンションセンターのロジャー・フィリギム博士は言っています。

 

手根管症候群は局所ではなく脳の病気でもあるというのは、手根管症候群という病気の認識にパラダイムシフトをせまるような見解です。これは痛みの中枢性感作という問題と絡み合っています。

 

このような流れの中で、2017年3月2日にヴィタリー・ナパドウの研究が発表されたわけです。

 

2017年3月2日『ブレイン』のヴィタリー・ナパドウ研究
「手根管症候群の鍼における一次体性感覚野の書き換え」
Rewiring the primary somatosensory cortex in carpal tunnel syndrome with acupuncture
Yumi Maeda Vitaly Napadow et al.
Brain awx015.02 March 2017
DOI: https://doi.org/10.1093/brain/awx015

 

 

【以下は参考文献】
※1:
Conservative treatment options for carpal tunnel syndrome: a systematic review of randomised controlled trials.
Gerritsen A.et al
J Neurol. 2002 Mar;249(3):272-80.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11993525

※2:
Non-surgical treatment (other than steroid injection) for carpal tunnel syndrome.
O’Connor D,et al.
Cochrane Database Syst Rev. 2003;(1):CD003219.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12535461

※3:
Acupuncture in patients with carpal tunnel syndrome: A randomized controlled trial.
Yang CP et al.
Clin J Pain. 2009 May;25(4):327-33.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19590482

※4:
Carpal tunnel syndrome
Nigel L Ashworth
Clin Evid (Online). 2010;
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2907614/

※5:
Acupuncture for carpal tunnel syndrome: a systematic review of randomized controlled trials.
Sim H, Ernst E.et al .
J Pain. 2011 Mar;12(3):307-14.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21093382

※6:
A randomized clinical trial of acupuncture versus oral steroids for carpal tunnel syndrome: a long-term follow-up.
Yang CP et al.
J Pain. 2011 Feb;12(2):272-9.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21111685

※7:
Acupuncture in treatment of carpal tunnel syndrome: A randomized controlled trial study.
Khosrawi S, Moghtaderi A, Haghighat S.
J Res Med Sci. 2012 Jan;17(1):1-7.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3523426/

※8:
Clinical effectiveness of acupuncture for carpal tunnel syndrome.
Ho CY.et al.
Am J Chin Med. 2014;42(2):303-14. doi: 10.1142/S0192415X14500207.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24707864

※9:
Efficacy observation of carpal tunnel syndrome treated with electroacupuncture.
Xia Q,
Zhongguo Zhen Jiu. 2013 Aug;33(8):700-2.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24195210

※10:
Hypothalamus and Amygdala Response to Acupuncture Stimuli in Carpal Tunnel Syndrome V Napadow,N Kettner,et al.
Pain. 2007 Aug; 130(3): 254–266.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1997288/

※11:
Spatio-temporal mapping cortical neuroplasticity in carpal tunnel syndrome.
Dhond RP, Napadow V.et al.
Brain. 2012 Oct;135(Pt 10):3062-73. doi: 10.1093/brain/aws233. Epub 2012 Oct 4.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23043143
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3470711/

※12:
Acupuncture-Evoked Response in Somatosensory and Prefrontal Cortices Predicts Immediate Pain Reduction in Carpal Tunnel Syndrome
Evidence-Based Complementary and Alternative Medicine
Volume 2013 (2013), Article ID 795906, 13 pages
http://dx.doi.org/10.1155/2013/795906
http://www.hindawi.com/journals/ecam/2013/795906/

※13:
Acupuncture for carpal tunnel syndrome.
Freedman J
Acupunct Med. 2002 Mar;20(1):39-40.
http://aim.bmj.com/content/20/1/39.long

https://www.google.co.jp/…/acupuncture-can-ease-wrist-pain-…

 

 

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