『日本腹診の源流―意仲玄奥の世界』を読んでいると、御園意斎の『陰虚本病』が金元四大家の朱丹渓の『格致余論』の影響と引用から創られた文献なのに改めて驚きました。
特に『陰虚本病』の中の「肝は疎泄をつかさどり、腎は閉蔵をつかさどる。肝は相火を為し、瀉ありて補なし」という相火の記述に驚きました。日本伝統医学の御園意斎が「肝は疎泄をつかさどる」という典型的な金元時代の中国伝統医学理論を引用しています。
『陰虚本病』というタイトルも、明代の朱丹渓の学を継ぐ劉純の『医経小学』を引用したものです。さらに朱丹渓の学統にある1515年の虞摶著、『医学正伝』の虚証に関する記述と、鍼灸の補瀉に関する記述を引用しています。
この御園意斎の『陰虚本病』は、いくら本文を読んでも引用のみでわけがわかりませんでしたが、森中虚『意仲玄奥』、御薗意斎『陰虚本病』、森立之『臓腑部位』の3冊を同時に読むことで、はじめてその意図がわかってきました。
以下、森中虚『意仲玄奥』より引用。
これ、すなわち家伝の極秘なり。太極とは易経の繋辞伝にいわく、易に太極あり。太極から両儀を生じる。
陰陽の両儀より五行を生じ、五行から万物が生じる。
剛火とは陰中の一陽。すなわち命門の相火なり。
難経八難における「腎間の動気(原気)」です。
難経八難に曰く、寸口の脈が平脈なのに死ぬものがいるのはなぜか?
その通りであり、十二経脈はみな、生気の源(原)に関係している。生気の源(原)とは十二経の根本であり、これはいわゆる腎間の動気である。これは五藏六府の根本であり、十二経脈の根であり、呼吸の門であり、三焦の源(原)である。
難経三十六難では、命門は原気のつなぐところと言います。
三十六難に曰く、臓器はそれぞれ一つのみであるが腎臓のみ2つあるのはなぜか?
その通りであり、腎臓は2つあるというが、それは厳密な腎臓ではない。左は腎であり、右は命門であり、命門は精神のやどるところであり、原気の繋ぐところである。
難経六十六難では、「腎間の動気」は臍下の石門より三焦を通路として全身・五藏六府にいきます。
六十六難曰く、三焦は兪で原穴であるとは何か?
然り。臍下腎間の動気は人の生命であり、十二経絡の根本である。それで原気(=元気)という。三焦は原気の別使であり、三気が通行することを主り、五臓六腑を経歴する。
以下、森中虚『意仲玄奥』より引用。
鳩尾より上脘までの内に動気があって悶々として数なるは是れ相火が散乱するなり。
剛火(相火=腎間の動気)が心を犯し、鳩尾に動気ある者は狐につかるる者なり。鳩尾に動あって、背に抜ける者は狂者となす。
まさに、鳩尾あたりの動気を精神状態と関係して論述しています。
さらに難経五十六難の五積について解説してあります。五積の腎積は「奔豚(ほんとん)」です。
五十六難いわく、五臓の積に名前があり、腎の積は奔豚であり、少腹に発し、上は心下に至り、豚のようであり、或いは上に或いは下にとどまる所がない。
まさにパニック障害とウツのようなイメージです。
日本の腹診家は李東垣が「陰火学説」で提起した問題、朱丹渓が「陽有余、陰不足論」「相火論」で提起した問題について研究していたようです。
【参考文献資料:御園意斎『陰虚本病』の引用部分】
1338年、劉純著、『医経小学』卷之四 病机第四 から「陰虚本病」の論説が引用されています。
【阴虚本病】一首集见格致馀论
夫天地物。各一太极。动而生阳。静而生阴。阳动则变。阴动则合。而生五行。各禀其性。惟人得备。形气所受。天地气生。阳气为气。阴气为血。身中之神。元气之根。根于内者。
名曰神机。根于外者。名曰气立。与天地参。气正而通。气交之中。随天地气。升降浮沉。阳实阴虚。气常有馀。血常不足。所与天地。日月四时。虚盈并同。阴平阳秘。形志以宁。阳本在外。为阴之卫。阴本在内。为阳之守。性或物感。精神外驰。嗜欲无节。阴气耗散。 阳无所附。遂致病作。恶寒非寒。恶热非热。证类实邪。此阴虚热。热乃火动。有君相别。相火所谓。龙雷天火。君火所谓。人火暑热。故火乃二。备于六气。以名而言。形气相生。配于五行。命曰君火。以位而言。生于虚无。守位禀命。因动而见。谓之相火。天以此火。而为阳气。以生万物。人以此火。以生一身。道气冲和。助我元气。元气不足。相火独盛。 火与元气。不能两立。一胜一负。乃致阴虚。阴虚火动。五乱俱施。金危木盛。土困水微。迭相为制。母子背违。阳强不密。阴气乃离。腑脏经络。偏实偏虚。遂失其正。邪悉由矣。 虚邪外入。实邪内起。取经治正。补泻所宜。肝主司疎泄。肾主藏闭。肝为相火。有泻无补。 有补无泻。肾为真水。水火变病。虚实所以。夏月阳极。其已阴虚。水少火多。阳实阴虚。虚甚伤暑。冬月阴极。其本阳虚。水多火少。阴实阳虚。虚甚伤寒。病未传变。初治责虚。伤寒助阳。清暑益气。虚者十补。勿一泄之。除邪养正。平则守常。阳动阴静。五行之几。根本化源。由乎土水。水为物元。土为物母。人能自存。益其根本。遍相济养。是谓和平。生化不已。交互克伐。变乱失常。郁而无伸。甚而无制。造化息矣。病虽为邪。造化之道。
次は1515年の虞摶著、『医学正伝』医学或问を引用しています。
或问∶古有四诊之法,何谓也?曰∶形、声、色、脉四者而已,今人惟效脉法,但知其一而遗其三焉,请陈其理如下∶夫形诊者,观其形以知其病也。经曰∶形气不足,病气有余,是邪胜也,当泻不当补。形气有余,病气不足,当补不当泻。形气不足,病气不足,此阴阳皆不足也,当急补之,不可刺,刺之重不足,重不足则阴阳俱竭,血气皆尽,五脏空虚,筋骨髓枯,老者绝灭,壮者不复矣。形气有余,病气有余,此阴阳皆有余也,急泻其邪,调其虚实。故曰有余者泻之,不足者补之,此之谓也。
或问∶针法有补泻迎随之理,固可以平虚实之证。其灸法不问虚实寒热,悉令灸之,其亦有补泻之功乎?
曰∶虚者灸之,使火气以助元阳也;
实者灸之,使实邪随火气而发散也;
寒者灸之,使其气之复温也;
热者灸之,引郁热之气外发,火就燥之义也。
其针刺虽有补泻之法,予恐但有泻而无补焉。经谓泻者迎而夺之,以针迎其经脉之来气而出之,固可以泻实矣;谓补者随而济之,以针随其经脉之去气而留之,未必能补虚也。
不然,内经何以曰,无刺 之热,无刺浑浑之脉,无刺漉漉之汗;无刺大劳人,无刺大饥人,无刺大渴人,无刺新饱人,无刺大惊人。又曰,形气不足,病气不足,此阴阳皆不足也,不可刺;刺之,重竭其气,老者绝灭,壮者不复矣。若此等语,皆有泻无补之谓也,学人不可不知。
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