2007年「ヨーロッパ伝統医学としての耳鍼」
Ear Acupuncture in European Traditional Medicine
Luigi Gori and Fabio Firenzuoli
Evid Based Complement Alternat Med. 2007 Sep; 4(Suppl 1): 13–16.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2206232/
1951年に43歳の フランス、リヨンの整形外科医、ポール・ノジェは1人の女性患者の耳に2㎜幅の四角の火傷痕を発見しました。この患者は何年も座骨神経痛に悩まされていましたが、マルセイユで民間療法をおこなっていたバリン夫人による耳の焦灼治療によって慢性の座骨神経痛が治ったという経験をノジェに話しました。この偶然の発見を活かしたのがポール・ノジェの謙虚さと偉大さだと思います。
ノジェは当時、フランス鍼灸科学派を代表し、経穴の電気探索を研究したジャック・ニボイエに鍼を学んでいました。ノジェはバリン夫人が用いた耳の焼灼部分に鍼を刺して腰痛や座骨神経痛が改善することを経験しました。
さらに整形外科医のルネ・アマシュウと議論していく中で、耳が全身を投影しているというソマトトピー(体部位再現)のアイデアをひらめきました。これはノジェの談話では1951年のことです。1953年頃には、ほぼソマトトピーの概念を確立していていました。
1955年にノジェはソマトトピーのアイディアをジャック・ニボイエに語ります。ジャック・ニボイエはノジェに地中海鍼学会で耳鍼のアイディアを話すように勧めました。 ノジェは1956年にマルセイユの地中海鍼学会会議で耳介に投影されたゾーンやポイントを口頭で発表し、ドイツ経由で日本、そして中国に伝わりました。
耳鍼を研究している方なら誰でも知っているこのエピソードは、一つの疑問を引き起こします。「リヨンの魔女、バリン夫人は誰から耳への焼きゴテで座骨神経痛が治ることを教わったのか」という疑問です。
以下、引用。
1637年に、おそらくヨーロッパでは最初にポルトガルの医師、ザクタス・ルシタヌスが瀉血が失敗したあとに耳に焼きゴテをあてることで座骨神経痛を治療した。
1634年の以下の本に記録されているようです。
Praxis medica admiranda: in qua exempla monstrosa, rara, nova, mirabilia. Amsterdam 1634.
耳鍼の起源は、ポルトガル・リスボン出身でアムステルダムで亡くなったユダヤ人医師、アブラハム・ザクタス・ルシタヌスです。アブラハム・ザクタス・ルシタヌスの先祖はスペイン生まれのユダヤ人天文学者、アブラハム・ザクートです。1492年にスペインのイザベル女王のアルハンブラ勅令によってスペインからユダヤ人は追放されました。
スペインから追放されたユダヤ人、セファルディムであるアブラハム・ザクートはポルトガルのリスボンに逃れ、そこで生まれたのが医師、ザクタス・ルシタヌスです。父親であるアブラハム・ザクートはチュニジアのチュニスにさらに逃れ、最終的にはオスマン帝国のダマスクス(現在のシリア)まで移住します。
ザクタス・ルシタヌスの先祖はスペインでユダヤ教徒からキリスト教に強制改宗させられたマラーノ(Marranos=豚の意味。スペインで異端審問を逃れるためにキリスト教に偽装改宗した人々への蔑称)でした。ザクタス・ルシタヌスは1625年にオランダのアムステルダムに移住し、ユダヤ教徒に再改宗します。当時のオランダのアムステルダムにはユダヤ人たちが住んでおり、同じ時期にポルトガルから逃れてきたスピノザがいます。
アブラハム・ザクタス・ルシタヌスの1634年の耳の焼きゴテによる座骨神経痛の治療が、マルセイユのバリン夫人を通じてリヨンの整形外科医、ポール・ノジェに1951年に伝わったのです。まさに耳鍼はヨーロッパ伝統医学なのです。
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