現在、鍼灸分野では「静かな科学革命」「パラダイムシフト」が起こっています。一つはファッシャ、皮下の結合組織分野の認識の革命です。「鍼を刺している時にその鍼尖では何が起こっているのか」。ケラチノサイト、コラーゲン、エラスチン、線維芽細胞などの結合組織は「パラダイムシフト後の鍼灸科学」のキーワードとなります。
しかし、それらを明記した鍼灸の専門書は出版されていませんでした。おそらく、北川毅先生の『医学的に正しい美容鍼 〜コラーゲン誘発鍼の作用機序とエビデンス〜』は、日本における最初のパラダイムシフトを促す鍼灸専門書と後に評価されるのではないでしょうか。パラダイムシフトは常にシステムの中心ではなく周辺分野から起こり、のちにシステム全体を揺るがしていきます。
また、この文献が最初に美容鍼と再生医療とのリンクを指摘したことも、将来的に指摘されるでしょう。現在、電気鍼による創傷治癒はアキレス腱など英国医師会雑誌の『アキュパンクチャー・イン・メディスン』でも論文が特集されています。
『医学的に正しい美容鍼』の特徴として、現在の世界レベルでの標準的な医学とつながりをもち、世界中のどこに出してもロジカルに通用することが挙げられます。現状の日本の美容鍼を観察すると、卒後、数年の未熟な施術者が少々の工夫を加えたものを「〜式美容鍼」としてセミナーを主催し、流通させるという現象が広くみられました。技術的にも理論的にも稚拙で、国際的にはまったく通用しないものです。真面目に臨床に取り組む鍼灸師が美容鍼から距離を置く業界の風潮はこれによるものです。
私自身、美容鍼に対してそのような誤解をもっていましたが、著者である北川毅先生の技術を見て美容鍼への認識が激変した経験があります。遠隔取穴による急性疼痛の治療や局所への深刺、火鍼など、北京の老中医・賀普仁老師の流れを汲む本格的な中医学鍼灸であり、技術的なレベルの高さが他の美容鍼灸師とは一線を隔するものでした。「もともと治療技術の高い鍼灸師が鍼灸の需要を拡げる戦略として美容鍼を採用している」というのが本質でした。
その時点で北川毅先生の諸著作を検討すると、「美容鍼は出口でなく、本格的な鍼灸への入口である」というスタンスが一貫していました。美容鍼を入り口として患者さんに「本当の美は健康の上にある」という教育を行い、未病治としてライフスタイルの中に鍼灸を取り入れることを提案するのです。北川毅先生の美容鍼灸にはこの理念が根本にあります。
北川先生は『医道の日本』で欧米の科学的研究論文の翻訳もされていたため、数年前、私は北川先生に「美容鍼は当初の戦略どおり、潜在的需要の掘り起こしには成功した。しかし、美容鍼が流行しているのにエビデンス、科学的根拠に欠けている。患者さんの実感を根拠ある言葉で説明できない。第1人者として科学的根拠を提示する社会的な義務がある」という趣旨のことを申し上げたことがあります。この時は北川先生ご自身からご連絡があり、意見交換をさせていただきましたが、これに対してのアンサーが『医学的に正しい美容鍼』となっています。
北川先生の美容鍼の特徴の一つに二指推鍼法の技術開発や新しい鍼道具の開発があり、鍼灸技術開発の視点からも多くの新提案やアイディアがあります。そして、北川先生の諸著作からは常に「社会の中での鍼灸の位置」「世界の中での日本鍼灸のあり方」という広い、開かれた視点が読み取れます。北川先生は中国の中医学鍼灸や欧米の西洋医学を積極的に取り入れつつ、日本独自の鍼灸を世界に広めようという提案もされています。
『医学的に正しい美容鍼』は内出血や直後効果の捉え方など、鍼灸師が持つ「思い込み」を変えることを試みています。鍼灸業界全体を俯瞰した時、美容鍼は従来とは異なる層をとりこみ、需要を開拓しました。しかし、現在の美容鍼のあり方はまだまだ改善の余地があり、鍼灸業界の今後を真摯に考えるなら、間口の広い入り口となりうる美容鍼をバージョンアップする必要があります。真摯な鍼灸臨床家にこそ、美容鍼を実践してほしいという著者の願いが伝わる一冊であると思います。一読をお勧めします。
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