某学会で養生法の話題が出た際に「気功の津村喬先生は神戸にもゆかりがあります。日本における気功の歴史を振り返る講義を依頼しては?」と発言した後で、2020年6月に津村喬先生が亡くなられたことを知り、絶句しました。2020年6月から2021年2月はコロナ禍のため、私の人生でも1番忙しい時期でした。
津村喬先生に直接お会いし、指導していただいた際に学んだ技術は、私も気功セミナーで受講生の方にお伝えしています。私が気功を学んだ長い歴史の中でも、とびきりの技術の一つを惜しげもなく初対面の私に教えてくれました。
鍼灸学校に入ってから、津村喬先生の『しなやかな心とからだ―東洋体育道入門』とデビッド・アイゼンバーグ『気との遭遇―ハーバードの医学者が中国で「気の謎」に挑んだ!』の2冊を読んだことは、その後の私に決定的影響を与えました。津村喬先生は野口整体や野口体操、西式健康法、橋本式操体法、真向法など、中国気功に限らず日本のボディワークを紹介されていました。デビッド・アイゼンバーグはアメリカ国立衛生研究所NIHで後に鍼灸や代替医療分野で重要な役割を果たしました。
もともと津村喬先生は市民運動の人物であり、カウンターカルチャー運動としての東洋体育を誰よりも深く考えた人物の1人です。日本のフェミニズム、ウーマンリブ運動における鍼灸師の田中美津先生と同じく、未来の日本で研究されるべき思想家だと思います。実際に文芸評論家の絓秀実さんは、2005年に出版された本の中で、西部邁や柄谷行人以上に津村喬先生の思想を評価されていました。
【日本の気功の歴史】1979-1999
1979年:津村喬『しなやかな心とからだ―東洋体育道入門』野草社
1981年:星野稔、導引研究会設立。
津村喬、神戸太極拳同好会創設に参加
1982年:星野稔、北京体育学院留学。同院、人民大学で気功を学ぶ。
1984年:『図説気功法―決定版 (1984年)』 津村喬、星野 稔 柏樹社
1985年:星野稔、焦国瑞と出会う。
1990年:『気功学の未来へ―焦国瑞対談集』 焦 国瑞 (著), 間中 喜雄 (著), 湯浅 泰雄 (著), 池見 酉次郎 (著), 星野 稔 (著)
1991年:人体科学会設立。『人体科学)』
1993年:津村喬『東洋体育の本』
1993年: 町好雄 『「気」を科学する』 東京電機大学出版局 (1993/5/1)
1995年:国際生命情報科学会(ISLIS)創設。
1995年3月:オウム真理教の地下鉄サリン事件
1996年:『超心理学研究』発刊。
1999年:中国で法輪功事件
2004年:中国・体育総局は「健身気功」を発表し、実質的に中国では気功は禁止される。
私がお会いした頃の津村喬先生は、五禽戯、六字訣、八段錦、易筋経を教えられていました。ちょうど法輪功事件の後、中国政府は「五禽戯、六字訣、八段錦、易筋経」の四大功法のみを正当な気功として普及することに政治的に決定しました。津村喬先生も阪神淡路大震災で被災し、同時期にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった余波の時代です。
最晩年の津村喬先生は『道蔵』などの道教古典の気功を研究されながら、同時に政治評論集を次々と出版されていました。訃報を知り、津村喬先生の思想を全体として知るためにも図書館などで探してみたいと思います。
『「ニューエイジ」類似運動の出現をめぐって : 1960~70年代青年の異議申し立て運動との関連で』
前川 理子
『宗教と社会』1998 年 4 巻 p. 79-105
上記は津村喬先生と日本の気功に関する数少ない学術論文です。
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