以下、『現代思想:平田篤胤』475ページより引用。
きゃりーぱみゅぱみゅの人生を変えた本。それが平田篤胤の手になるものだと、いったい誰が想像し得ただろうか?
きゃりーぱみゅぱみゅさんの人生を変えた本は、平田篤胤著『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』だそうです。これは1822年に天狗小僧寅吉に平田篤胤が聞いて書いた『仙境異聞』です。
これを読んで、きゃりーぱみゅぱみゅさんに親近感がわきました。
わたしも平田篤胤とのファーストコンタクトは漫画家水木しげる先生の『神秘家列伝3』で、天狗小僧寅吉にハマる平田篤胤先生の姿だったからです。
水木しげる先生の描く平田篤胤先生はユーモラスな存在でした。
次に平田篤胤に出会ったのは、江戸時代後期の医学の「古方」や「和方」を調べているときです。平田篤胤の学問の師である本居宣長は鍼灸も用いた東洋医学者でしたが、平田篤胤も『傷寒論』に関する『医宗仲景考』や『金匱玉函経解』まで書いた東洋医学者です。
さらに平田篤胤著『志都乃石室(しづのいわや)』は丹田呼吸法のもととなった幕末医学書の傑作です。ここで平田篤胤のイメージはわたしの中で激変しました。
しかも、明治時代の霊術の多くは平田篤胤の技法を取り入れています。また、本田親徳に影響を与えます。本田親徳の本田霊学は神道家・霊術家の川面凡児や霊術家の友清歓真、大本の出口王仁三郎に大きな影響を与えました。浅野和三郎の流れは心霊科学研究会となります。現在の日本のスピリチュアリズムの淵源は平田篤胤なのです。
何より、天皇家の神道である白川伯王家の伯家神道は平田篤胤の大きな影響を受けています。日本の明治期以降のスピリチュアリズムを調べていく際に、平田篤胤を避けて通れないのは明らかになってきました。
しかし、次に出会った平田篤胤がもっとも問題でした。
現在の神道は、日本会議に代表されるようにかなり変質して「近代化」しており、政治に積極的に介入するカルト宗教化しています。わたしの中の神道は「神仏習合に代表されるように、異文化でも何でも取り入れる寛容さ」という良いイメージでした。
「何でも取り入れる寛容な日本の神道が、いつの間にカルト化していったのか」という疑問から調べていくと、やはり平田篤胤にさかのぼるのです。
しかも、明らかにキリスト教・一神教の影響を受けて、天照大神を中心とした一神教的な神道に改変しました。
江戸時代は、徳川家康の日光東照宮のように、仏教と神道を習合しつつ仏教優位の政策でした。しかし、明治維新後の神道は平田篤胤の神道を継承したもので、神道の平田派は「廃仏毀釈」「神仏分離」を推し進めます。
哲学者、和辻哲郎に代表されるように、戦後の平田篤胤は「狂信的」「日本のファシズムの根源」と受け止められていたそうです。水木しげるの描いたユーモラスな平田篤胤とは対極の印象です。現在、流行している排外主義、エスノセントリズムやカルト宗教としての国家神道は、まさに平田篤胤にさかのぼる印象があります。
吉田麻子先生は1998年より、それまで未公開だった先祖伝来の気吹舎資料の調査を平田篤胤神道宗家当主より許され、2001年に当時、国立歴史民俗博物館館長であった宮地正人の指導を仰ぎながら調査した学者です。
2023年に『平田篤胤 狂信から共振へ』が出版され、日本の思想史における平田篤胤が大きなトピックスとなりました。
平田篤胤は、もはや狂信の人というより、魅力的で多面的で、デモーニッシュな思想家であることが明らかになってきました。
その流れから2023年『現代思想2023年12月臨時増刊号』の平田篤胤特集が出版されたようです。
日本思想は難解です。
奈良時代の南都六宗、鑑真の律宗や華厳宗の思想や平安時代の最澄の天台宗、空海の真言宗も密教だけあって超難解です。
私的には中国の禅宗を学んだあとの鎌倉仏教の臨済宗の栄西や曹洞宗の道元はまだなんとかついていけましたし、室町時代の蘭渓道隆や夢窓疎石も禅というコンテクストの中で理解できます。
本当に難解なのは、朝鮮の姜沆と藤原惺窩が出会い、朱子学が江戸幕府の官学となったころからです。朱子学の魂魄のとらえ方は現在の東洋医学にも影響を与えています。
朱子学への反発から伊藤仁斎が古学を提唱し、荻生徂徠が古文辞学を提唱します。古学と古文辞学が後藤艮山と吉益東洞の古方派に決定的な影響を与えます。
そして漢方医であった本居宣長と平田篤胤の国学は、日本思想に決定的な影響を与えました。インドの仏教や中国の朱子学をおとしめる排外思想と平田派の神道は、明治期の日本に大きな影響を与えました。
「日本人はどのように思想してきたのか」を知るためには、危険極まりない思想家である平田篤胤先生と向き合わざるをえないでしょう。
【目次】総特集◎平田篤胤篤胤と対峙する宮地正人 幕末維新における篤胤斎藤英喜 異貌の平田篤胤――近世神話・異端神道・ファシズム大塚英志 柳田國男と平田篤胤――「固有信仰」の来歴をめぐって東 雅夫 侏儒のごとき、鏡花の面影……安藤礼二 意味の母型(マトリクス)――契沖、宣長、篤胤中川和明 平田篤胤主要作品解題
討議小川豊生×斎藤英喜×山下久夫 篤胤はゆれうごく篤胤を読む山下久夫 宣長・秋成・そして篤胤――「復古」の構図をめぐる問題前田 勉 「無学の人」の「大和心」松本久史 平田篤胤は国学者か島田英明 平田篤胤の「学者ぎらひ」――政治学的考察森 瑞枝 史学から神秘学へ――『赤県太古伝』私論アン・ウォルソール ジェンダーから分析する平田篤胤の思想篤胤はどこから来たか小川豊生 篤胤のなかの中世――〈一神〉論の系譜をめぐって伊藤 聡 平田篤胤のなかの中世神道田中康二 平田篤胤のなかの本居宣長宮川康子 『出定笑語』と『出定後語』彌永信美 〈偽−密教/神道儀軌〉の作者としての平田篤胤――『密法修事部類稿』末尾の「久延彦行法」について金沢英之 『霊の真柱』の世界像――宣長・中庸から篤胤へ拡張していく篤胤友常 勉 平田篤胤のノエマ‐ノエシスとハイパー国学檜垣立哉 魂はどこにいるのかという問い――カントから平田篤胤へ大出 敦 魂(たま)の行方――ポール・クローデルの平田篤胤平藤喜久子 奇人と奇縁の神話研究――レオン・ド・ロニと平田篤胤石橋直樹 看取され逃れ去る「神代」――平田篤胤の歴史記述を読む平田家と平田派三ツ松 誠 激烈組!天野真志 平田篤胤の残影――秋田藩士としての平田家とその周辺相澤みのり 明治初年の平田家と「気吹舎蔵版」熊澤恵里子 民衆はなぜ篤胤の語りに魅せられたのか――平田家三代と気吹舎響きつづける篤胤島薗 進 折口信夫の平田篤胤評と明治後期以降の神道界昆野伸幸 近代のなかの平田篤胤栗田英彦 異界としての皇国――平田篤胤の身体技法論と「多孔的な自己」の近代並木英子 本田親徳とは何者か――「産土神」と「死後の魂の行方」の思想をもとに考える
異界をみつめて岩田重則 平田篤胤の霊魂観再考――自身の葬墓と神社増田友哉 篤胤の死後世界における罪と罰のゆくえ――訛伝としての地獄渡 勇輝 「古」を幻視する――平田国学と柳田民俗学杉本好伸 平田本『稲生物怪録』の位相――〈諸本〉を視座に今井秀和 虚と実の垣根を揺らす魔法の書(グリモワール)――『仙境異聞』と江戸文芸木場貴俊 「近世怪異文化史からみた平田国学」覚書稲生知子 〈稲生物怪録〉の再生産と平田篤胤――子孫としてのまなざしから
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