講師のラーマン・カプール先生は1957年生まれで、1979年にデリーの医科大学で外科医師の学位を取得します。
1987年にメディシナ・オルタナティバで鍼の学位を取得します。メディシナ・オルタナティバとは、ポルトガル語で「代替医療」を意味し、1962年に設立された国際教育機関です。初代会長は、スリランカ、インド、ヨーロッパで活動されているスリランカの名鍼師、アントン・ジャヤスリヤ先生です。
ラーマン・カプール先生は、インドの国立大学インディラ・ガンディー・ナショナル・オープン大学で、医師向けの鍼治療の卒後ディプロマ・コースの教授をされています。現在、インド医療鍼協会の会長で、3冊の鍼の専門書を書かれています。
長田裕先生は1948年、神戸市生まれです。和歌山県立医科大学卒業後、同大学附属病院、和歌山赤十字病院、神戸市立中央市民病院などの脳神経外科に勤務されます。1988年に医院を開業されます。
1991年、福田先生がゴルフの予約をして、天気が良いと急性虫垂炎の急患のためにキャンセルしていたことから安保徹先生と福田稔先生の福田=安保理論がスタートしました。
1992年
「三焦経及び胆経と自律神経との相関 井穴刺絡学の立場より」
浅見 鉄男
『日本良導絡自律神経学会雑誌』1992 年 37 巻 11 号 p. 278-281
2004年3月より長田裕先生は福田・安保理論の日本自律神経免疫研究会に所属されます。
※無血刺絡療法(PPST:Pressing Pain Stimulation Therapy)
2021年 英語文献を出版される
Heal Yourself with PNST: A personal guide to better health
Independently published (June 21, 2021)
2006年の無血刺絡(PPST)のころは、とげぬき鑷子(せっし)を改良した道具を使われていました。デルマトームや皮膚への刺激、内臓体壁反射の利用など、これも日本鍼灸の重要な一部だと思います。
2000年代前半の安保=福田理論の流行しはじめの頃、浅見式井穴刺絡を初めて歯科医師に受けた際に、あまりの痛さと注射針で大量に瀉血するやり方に驚きました。この時点で、個人的には、東洋医学的な刺絡をしているので違和感のほうが大きかったです。特に「針は痛く刺さないといけない」という考え方についていけない部分がありました。
刺絡を井穴や末梢にすると冷えがとれます。これは東洋医学的にも面白い現象でした。邵輝先生に冷えは絡脈のつまりであり、鍼を浅くチョンチョンと刺す絡刺で冷えはとれると指導していただきました。ここから、個人的には血液を出す刺絡ではなく、絡を刺激する絡刺にうつっていきました。
かっさも同じです。東洋医学的には、皮毛から風邪が入り、浅い絡から深い経脈に入ります。そこで、かっさで絡を通じさせます。昔のかっさはコインで皮膚から軽く出血させ、青タンができました。いまでもインドネシアやベトナムのかっさはコインで風邪を削ります。
ヴェトナムではカオヨーと呼ばれ「風邪」を「剃る」という意味です。
カンボジアのかっさ、コッ・クチョールも同じ意味です。
インドネシアにもケロカンというの刮痧があり、「マスッ・アンギン」という風邪のひきかけの状態に使われます。これらは「絡」の概念と関係していると考えられます。
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