2020年3月1日『京報網』
「鐘南山チームの論文が正式発表された:新型コロナウイルス肺炎患者の50%が初診時に発熱していなかった」
钟南山团队论文正式发表:就诊时尚未发热新冠肺炎患者近五成
2020年2月10日、МedRxivに鐘南山先生が先行して投稿された1,099症例を分析した論文が 『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』で出版されました。84歳で世界の医学の最先端・最前線をリードされています。
2020年2月28日「中国での2019年新型コロナウイルスの臨床的特徴」
Clinical Characteristics of Coronavirus Disease 2019 in China
Nan-shan Zhong, M.D.et al.
February 28, 2020
New England Journal of Medicine
DOI: 10.1056/NEJMoa2002032
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa2002032
鐘南山先生は84歳で「新型コロナウイルスの潜伏期間は24日間で、半数は発熱がない」という研究結果を早期に発表し、世界を驚愕させました。まさに防疫の戦略決定における最重要インテリジェンス情報でした。
今回の新型コロナウイルスについては世界的なインフォデミックの様相があります。WHOや医学雑誌『ランセット』、BBC放送も インフォデミックという言葉を使っており、情報が錯綜し、社会的な悪影響のほうが大きくなっています。
私の場合、西洋医学では鐘南山先生の情報、中医学では邵輝先生の情報の検証を中心に行いました。邵輝先生に送っていただいた情報、武漢の気象変化を検証し、「寒湿疫」「舌苔は白膩苔」「初期はCT画像のほうがPCR核酸検査よりも感度が高い」などの情報を検証し続けましたが、いまだに正しさを証明し続けている、ものすごく正確な情報でした。葛根湯でサイトカインストームを予防するという邵輝先生の戦略を個人的に採用したため「自分は安全である」という感覚をもって情報分析できたのが大きかったです。
鐘南山先生の発信する情報は、鐘南山先生の人格や人間性を知らずには信頼できなかったと思います。それほど信じがたい医学情報でしたが、あとの論文や報道を検証していくと、鐘南山先生の情報が驚くほど正確であることが次々と証明されていきます。
多くの人は「中国発の統計や情報をどれだけ信じて良いのかわからない」という部分がボトルネックになり、正確な情報分析に失敗していた印象があります。やはり、オープンソースインテリジェンスOSINT分析よりも、本当に信頼できる良質の情報源からのヒューミント(HUMINT:Human INTelligence)の方がはるかに優れていました。これからの10年、東洋医学分野では中国からの情報が爆発的に増える予定です。中国からの正確で信頼できる情報源を持つことが決定的に重要になると予測できます。新聞報道や政府発表が信頼できない国家からのオフィシャル情報を分析する際には、信頼できる良質の情報とのつきあわせが決定打となります。
鐘南山先生から学ぶことは本当に多いです。鐘南山先生は3代続く医家に生まれ、父親は西洋医学の名門・北京協和病院の医師であり、アメリカ・ニューヨーク大学医学部で医学博士を取得した超エリートです。鐘南山先生も1955年に北京大学医学部に入学し、1959年には400mハードル走で中国記録を出し、十種競技を得意とするスポーツマンでした。1960年に医大を卒業して医師となりました。
ところが、文化大革命がはじまり、鐘南山先生は反動分子とされ、11年もの間、医学から離れました。その間はボイラーマンとして働き、石炭をシャベルで溶鉱炉に入れ続けました。文化大革命の時代に看護師であった母親は自殺しています。
1971年に文化大革命が終わり、広州に戻った鐘南山先生は70歳になった父親、鐘世範に尋ねられました。
「南山、今年、何歳になった?」
鐘南山は答えました。「35歳です」
鐘世藩はおもわず呟きます。「ああ、35歳だと!なんてひどい!」
西洋医師にとって24歳から35歳の11年間を失うことがどういう意味を持つのか、ニューヨーク大学医学部で医学を学んだ父親、鐘世藩にとって明白でした。しかし、鐘南山先生にとっては、この父親の絶望を感じた会話こそが生涯の転換点だったそうです。ここから鐘南山先生の医師としての人生を取り戻すための苦闘がはじまりました。
1978年に『中西医结合分型诊断和治疗慢性气管炎』という発表で注目を集め、43歳でイギリスへの留学試験を受験しました。英語は不合格でしたが、平均点が悪かったために補正されて鐘南山先生は留学の切符を手にします。
1979年に留学したエジンバラ大学ではひどい差別的な扱いからスタートしたのですが、中医学の舌診を応用し、さらに体を張った実験を続けてイギリスの医学者たちに学問と臨床の圧倒的実力を認めさせました。
1981年に帰国し、中国の広州の医師たちを指導し続け、2003年に67歳でSARS発生時に中国共産党政府の情報隠蔽を批判して世界的に有名になりました。常に信じられないような逆境からスタートして、屈強で超人的な体力と不屈の精神力で逆境を克服してきたのが鐘南山先生なのです。
24歳から35歳までの11年間は溶鉱炉のボイラーマンという強制労働を強いられた失意の肉体労働者でした。43歳でイギリス留学してからが、世界のトップ医学者、鐘南山先生の人生の遅すぎるスタートなのです。もともと400mハードル記録保持者であり、十種競技のチャンピオンだった鐘南山先生は「医学は体力」が座右の銘であり、「ご飯を食べるのと同じくらい肉体を鍛錬するのが好き」と言います。バーベルを上げ、水泳をして、鐘南山研究チームに入る条件は昼食休憩に鐘南山先生とバスケットボールの試合に参加することです。何歳からでも絶望の淵からもう一度やり直して自分の人生を生きることができるということを鐘南山先生は証明されています。
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