メキシコの鍼と日本の禅僧、高田慧穣と映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキー】

 
 
2021年「メキシコにおける鍼の専門化の歴史」
History of the professionalization of acupuncture in Mexico
Emma López Espinosa et al.
Longhua Chinese Medicine Vol 4 (June 30, 2021)
 
 
以下、引用。
 
鍼のトレーニングは厳格な公的な教育研究機関ではなかった。1968年に日本の禅僧、高田慧穣がメキシコを訪れて、さまざまな異教間の会議に参加した。彼はサンタマリアで定期的に医療の旅を行い、その地域で鍼と漢方をおこなった。これがメキシコの良導絡鍼研究所ができた由来であり、鍼は興味をもった人たちに政府やアカデミックに認められない形で普及した。
 
 
高田慧穣(たかだ・えじょう)禅師は神戸に生まれ、15歳から神戸市の祥福寺で山田無文を師として禅の修行に入ります。1961年に山田無文とともにメキシコにわたり、『自由からの逃走』の哲学者・心理学者、エーリッヒ・フロムに禅を教えました。
 
自由からの逃走
 
 
1967年に高田師はメキシコ良導絡研究所を設立します。貧しいインディオたちは西洋薬を信用せずに受け入れなかったのですが、高田師の良導絡の鍼だけを受け入れたという歴史的経緯があり、中谷義雄先生も高田慧穣師を認め、メキシコ良導絡研究所IMRACは今もメキシコシティで鍼を普及しています。
 
 
高田慧穣師にメキシコシティで禅仏教を学んだのが、映画『リアリティのダンス』の映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーです。
 
リアリティのダンス / アレハンドロ・ホドロフスキー
 
 
 
2014年5月1日
 
私はメキシコで、高田慧穣という禅の師に5年間師事しました。彼は私の人生の中で出会った最も誠実な5人のうちの1人でした。彼は日本から1ドル札だけを持って2,000万人の人口を持つメキシコシティにやって来たのです。当時、彼はなにも持っていませんでしたが、確信を持っていました。
 
 メキシコで、精神分析医のエーリヒ・フロムが、偶然道で高田先生をみつけました。高田先生はひとつの小さな箱をもっていました。そこには服が入っていました。一着は夏服、一着は冬服です。彼は二着しか洋服を持っていなかったのです。
 
高田先生にはたくさんの弟子ができ、弟子たちが彼に住む場所を提供し、彼はそこを転々としました。なにを食べていたかというと、市場でみんなが捨てるものを食べていました。彼は、一度もお金を持ったことがありませんでした。
 
お金というものは分かち合うものだということがわかります。もし私がお金を持っていて、あなたが持っていないのなら私も持っていないということです。私が食べているものも、分かち合わなければ、それは食べていないのと等しいのです。私が自分の中に閉じこもっていると、それは私は生きているとは言えないのです。ですから、外に向かって開かなければなりません。そして、愛で結びつく人を探さねばなりません。私個人の人生の目標は、普遍的な人生そのものの目標と同じであるべきなのです。もし全ての人たちがみんな自分の殻の中に閉じこもってしまえば、それは、自分たちが住む地球を破壊していることと同じことです。ひとつの名前の中に閉じ込めたり、年齢の中に閉じ込めたり、国籍の中に閉じ込めたり、古くて間違っている偏見や考えの中に自分を閉じ込めてしまうこと。それは地球を破壊することです。
 
 
 
世界の鍼灸の歴史を学んできて、これほど感動したことはないです。

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