MENU

トリガーポイントからニューロマスキュラー・テクニック筋膜療法へ

 
 
2021年11月2日
『医師ジャネット・トラベル』
Virginia Powell Street
‎Blurb (2021/11/2)
 
View Janet Travell MD by Virginia Powell Street
 
 
著者はジャネット・トラベルの娘であり、ジャネット・トラベル財団の創設者であるヴァージニア・パウエル・ストリートです。
 
長い間、ジャネット・トラベルがどのようにしてトリガーポイントを発見したのかは謎でしたが、この本を読んで謎が解けました。
 
 
ジャネット・トラベルの父親、ジョン・ウィーラード・トラベルはニューヨークの医師であり、カイロプラクティックや電気療法の臨床をしていました。
 
ジャネット・トラベルは1927年から1934年までテニスの全米女子チャンピオンであり、1940年代初め、テニスによる右腕の痛みがありました。若き研修医ジャネット・トラベルは『アメリカ医師会雑誌(JAMA)』にプロカイン麻酔薬の注射で鎮痛した論文、そしてイギリスの名医ジョナス・ケルグレンの麻酔薬注射の論文を読んでいました。
 
 
 
1938年ジョナス・ケルグレン
『英国医師会雑誌』
「筋肉からの関連痛」
Referred Pains from Muscle
J. H. Kellgren
Br Med J. 1938 Feb 12; 1(4023): 325–327.
 
 
ジャネット・トラベルが自分の肩をマッサージした時に筋肉の硬結をみつけ、押していると電気スイッチを入れたような感じがあります。医師である父親にプロカイン麻酔薬を注射してもらうと痛みが激減し、数回の治療で完治しました。1942年に勤務する病院の同僚であるリンツァーとJAMAに論文を発表しました。
 
 
1942年『アメリカ医師会雑誌(JAMA)』
ジャネット・トラベル
「肩と腕の疼痛と機能障害:プロカイン・ハイドロクロライド注射による治療」
Pain and Disability of the Shoulder and Arm: Treatment by Intramuscular Infiltration with Procaine Hydrochloride.
Travell, J., Rinzler, S., and Herman, M.
JAMA., Oct. 10, 1942,
 
 
 
1961年から、ジャネット・トラベルはジョン・F・ケネディ大統領の主治医になります。ケネディ大統領暗殺後も1965年までリンドン・ジョンソン大統領の主治医でした。
 
1968年にジャネット・トラベルは自伝『オフィスアワー:デイ・アンド・ナイト』を出版します。
 
 
1960年にジャネット・トラベルはデビッド・サイモンズとテキサス州ブルックス空軍基地航空宇宙医学部で出会い、1974年から『トリガーポイント・マニュアル』を書き始め、1983年に『トリガーポイント・マニュアル筋膜痛と機能障害』を出版しました。
 
 
Myofascial Pain and Dysfunction, Vol. 1: The Trigger Point Manual, The Upper Extremities Hardcover – June 1, 1983
Janet Travell , David Simons
Williams & Wilkins (June 1, 1983)
 
 
1998年8月、ジャネット・トラベルはうっ血性心不全で亡くなりました。
 
 
 
《現在のファッシャにつながる、もう一つの源流としてのオステオパシーとカイロプラクティックの歴史》
 
カイロプラクティックの名門、パーマー・スクールを卒業したレイモンド・ニモがカイロプラクティックの背骨のズレ理論に疑問を抱き、「軟部組織こそが痛みの原因」という新理論を創り、1950年代にジャネット・トラベルのトリガーポイント理論を積極的にカイロプラクティックに導入した業績があります。
 
 
 
1998年「レイモンド・ニモとトリガーポイント療法の革命」
Raymond L. Nimmo and the evolution of trigger point therapy, 1929-1986
J H Cohen, R W Gibbons
J Manipulative Physiol Ther. 1998 Mar-Apr;21(3):167-72.
 
レイモンド L. ニモ は、現在広く受け入れられている軟部組織およびトリガーポイント療法の分野におけるカイロプラクティックの決定的な先駆者でした。
 
スタンリー・リーフはラトビア出身で、3歳で南アフリカのヨハネスブルクに引っ越しますが心臓病のため、余命5年といわれました。しかし、当時、アメリカの健康カリスマだったベルナール・マクファデンのニューヨークの学校に通い、オステオパシーを学び、健康を取り戻します。そしてマクファデンのイギリスでのビジネスのために渡英し、スタンリー・リーフは1925年に開業し、1949年にイギリス・オステオパシー大学を創設し、1945年から1956年までイギリス自然医学オステオパシー協会の会長でした。
 
 
ボリス・チャイトウはラトビアで生まれて、8歳で南アフリカに移住します。1930年頃は弁護士をしていました。1937年にアメリカのカイロプラクティックの名門ナショナル大学に入学します。そして、スタンリー・リーフといっしょにイギリスでインド医学アーユルヴェーダのマルマ(インド式ツボ)を基礎としたニューロ・マスキュラー・マッサージを開発していきます。
 
 
1970年代に、アメリカのレイモンド・ニモのもとで、ヴェトナム戦争のグリーンベレーだったポール・セント・ジョンが学び、ポール・セント・ジョンはニューロ・ソマティック・セラピーという治療法を開発します。
 
ポール・セント・ジョンの弟子のジュディス・デラニーがマッサージ・セラピストとしてアメリカ版ニューロ・マスキュラー・セラピーを開発していきます。
 
 
イギリス版ニューロマスキュラー・マッサージの開発者であるボリス・チャイトウの甥、レオン・チャイトウは、1960 年にイギリス・オステオパシー大学を卒業しました。
 
医道の日本社からレオン・チャイトウの『軟部組織の診かたと治療』が出版されています。
 
 
Leon Chaitow (著), 後藤 和廣 (翻訳), 大谷 素明 (翻訳)
医道の日本社 (1990/4/1)
 
軟部組織の診かたと治療
 
 
イギリスのレオン・チャイトウは1996年にエルゼビア出版で『ジャーナル・オブ・ボディワーク・アンド・ムーブメントセラピー』を創刊します。
 
そして、イギリスのレオン・チャイトウとアメリカのジュディス・デラニーは協力してニューロ・マスキュラー・テクニックを開発していきます。
 
 
2000年にレオン・チャイトウとジュディス・デラニーは共著で『ニューロマスキュラー・テクニック』を出版しました。インドのアーユルヴェーダのマルマ(インド式ツボ)からはじまって、オステオパシー・カイロプラクティック分野でトリガーポイントと融合したニューロ・マスキュラー・テクニックは英米手技療法の新しい潮流としてファッシャ軟部組織の治療法となっていきます。手技療法は脊椎亜脱臼理論を捨てて、軟部組織・ファッシャが痛みの原因という理論に歴史的に大転換していくわけです。
 
 
2018年 レオン・チャイトウ編
医道の日本社 (2018/8/29)
 
筋膜への徒手療法 機能障害の評価と治療のすべて
 
 
 
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次