冒頭の関西学院大学社会学部の島村恭則と京都大学人文科学研究所の菊池暁の対談が秀逸でした。
灸の分野では、お寺でやっている焙烙灸などがありますし、関西ではお寺の中で棒灸を販売しているところも多いです。砂灸は足跡にお灸をするわけですから「おまじない」そのものです。
灸の縁起も「夢の中に~~という神仏が出て、教えてくれた」というものが普通であり、以前から、これは医学研究ではなく、民俗学の対象だと感じていました。日本における民俗学の創始者である柳田國男も、民俗学は「平民の学問」「普通の人々による学問」であることを最初から提唱しており、アカデミズムではなく、民間で口承・知恵の伝承をすべきものなのかもしれません。天狗や河童や雪女や座敷童が出てくる柳田國男の『遠野物語』は面白いですが、何の役に立つのかと聞かれると答えに窮します。
アメリカの民俗学者ジャン・ハロルド・ブルンヴァンは『消えるヒッチハイカー 都市の想像力のアメリカ』の中で都市伝説を収集した大学教授ですが、本職は引退するまで英文学の大学教授でした。同時にアメリカ民俗学会の副会長で、『アメリカ民俗学雑誌』の編集長であり、ブルンヴァンは立派な民俗学者です。日本のアカデミズムは官製大学からはじまったので、柳田國男やブルンヴァンのような民間のインディペンデントな学問やインディペンデント研究者の存在を認識できない欠点があります。
『現代思想2024年5月号 民俗学の現在』でもっとも面白かったのは、富山県立大学准教授の金城ハウプトマン朱美による「ドイツ民俗学とは何か」でした。
民俗学は哲学者ヨハン・ゴッドフリード・ヘルダーの民謡研究とグリム兄弟のメルヒェン研究『グリム童話』と『ドイツ神話』に始まります。
イギリスの民族学者ジェイムズ・フレーザー卿の『金枝篇』がこの時代の金字塔です。
ドイツでは、ロマン主義の高まりの中で民族主義が高まり、ドイツ民族とは何かを問う『民俗学』が生まれました。
ナチス・ドイツはこれを利用して、ゲルマン民族として、夏至の祭りや収穫祭といったゲルマン祭りを盛大に行い、ドイツ民族プロパガンダに利用しました。
2005年『ドイツ民俗学とナチズム』
河野眞
創土社
第2次世界大戦後のドイツ民俗学は真摯に反省し、「フォルクス(Volks)=民族」の「クンデ(kunde)=知恵・伝承」という言葉を捨て去り、社会学や民族学、文化人類学と変化していきます。
この学派の代表にヘルマン・バウジンガー)がいます。バウジンガーの弟子である医史学者、エバーハルト・ヴォルフがいて、スイスの民間療法を研究しています。
戦前の霊術研究や民間療法研究など、日本でも東洋医学分野の民俗学が必要だと思います。東洋医学の世界には、技術の創始者の都市伝説があり、民間で口承されてきた知恵があり、物語にあふれています。物語とファクトを弁別できるなら物語が豊かな方が、楽しみが多いと思います。
[目次]特集*民俗学の現在
【討議】
回遊する知としての民俗学 / 菊地暁+島村恭則
【広がるフィールド】
実践としての「介護民俗学」 / 六車由実
繰り返すことの民俗学――日常・クィア・強迫症 / 辻本侑生
自己・世相・日常――現在を史学する視点 / 及川祥平
民俗学から日本の出産史を問い直す――「安産中心史観」を超えて / 伏見裕子
〈日常〉はゆらぐ――霊的次元の近代 / 大道晴香
【俗なるもののための理論】
ヴァナキュラー・マテリアリティ――人・モノ・権力の民俗学へ / 門田岳久
民俗学に心は必要か?――心意から相互行為、そして霊魂へ / 廣田龍平
聞き、書き、話し、あい、語り、継ぐ――民俗学的ナラティヴ研究とその実践性 / 川松あかり
ドイツ民俗学とは何か――金城ハウプトマン朱美
【受け継ぐこと、立ち還ること】
流動性と異質性の民俗誌に向けて――贈与の伝統/伝承論 / 塚原伸治
伝承への倫理 / 加藤秀雄
創られる文化財保護の文脈――運用から捉える「財と遺産の仕組み」 / 後藤知美
建築はなぜ民俗的なるものを欲望するか / 青井哲人
【日常の淵に遊ぶ】
マンガから民俗学を考える――「日常系」マンガ、「考現学マンガ」、エッセイマンガ /イトウユウ
フォークロレスク入門 / ジェフリー・A・トルバート(訳=廣田龍平)
民俗学とホラーの親和性、あるいは民俗学者はなぜすぐに死んでしまうのか / 飯倉義之
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