モンゴル帝国、元代、王国瑞著
『扁鵲神応鍼灸玉龍経』
以下、引用。
労証
伝屍労病(=結核)は最も治療が難しく、湧泉穴を用いる。
中国伝統医学の痰証にいつから足陽明胃経の絡穴の豊隆を使い始めたのか。
どうも、モンゴル帝国時代の王国瑞著、『扁鵲神応鍼灸玉龍経』の「痰はすべからく豊隆を瀉法する」のようです。しかし、治療対象となっている疾病は結核(伝屍労:でんしろう)です。
『扁鵲神応鍼灸玉龍経』には他にも痰を針灸治療したものが多く掲載されています。痰飲頭痛には風池穴の瀉法を用いています。
肺の臓腑弁証の痰湿阻肺(たんしつそはい)に相当する痰嗽喘急に対しては、列欠と太淵を用いています。
痰飲と関連しそうな水腫については、水分に灸して水道を通じさせ、足三里に鍼して三陰交に鍼灸しています。これは完全に中医学っぽい配穴です。
水腫:水腫という病ではお腹が膨満して張り、水が消えない。
まず、水分穴に灸して水道を通じさせ、後で足三里と三陰交に鍼する。
水分は臍上5分で、50壮灸する。腹脹は瀉法するが宜しい。気満は先に補法して後で瀉法する。足三里は前と同じで、三陰交も前と同じで絶骨穴と相対し、灸は水分と同じで水道を通じる。
痰飲の治療には水の出口をつくることと経絡を阻滞している痰を通す理気が必要であり、例えば、痰湿頭痛なら頭部のブヨブヨした部分は通絡する必要があると思います。王国瑞先生の鍼灸治療はセンスが良いです。
宋代、王惟一が書いた『銅人腧穴鍼灸図経』には足陽明胃経の豊隆の主治として胸痛や腹痛、大小便難、頭痛、浮腫、四肢浮腫や身湿や喉痺はありますが、明白な痰という文字はありません。
明代、楊継洲が書いた『鍼灸大成』の豊隆は風痰頭痛や四肢浮腫、「高いところに登って歌い、衣を捨てて走り、鬼(死霊)を見て笑う」や「うつ病・精神病(癲狂)」を主治としています。
明代、楊継洲『鍼灸大成』
「风痰头痛,风逆四肢肿,足青身寒湿,喉痹不能言,登高而歌,弃衣而走,见鬼好笑。气逆则喉痹卒喑,实则癫狂,泻之」
『鍼灸大成』の豊隆の主治は、明らかに『霊枢・経脈篇』の経脈病になります。
西晋代、皇甫謐(こうほひつ)が書いた『鍼灸甲乙経』では、以下のように豊隆を精神病に用いています。
『针灸甲乙经』六经受病发伤寒热病第一(下)
厥頭痛で、顔面が浮腫で、イライラして、おかしくなって死霊(鬼)を見て笑いが止まらない、のどがつまって話すことができないのは豊隆がこれをつかさどる。
豊隆ではなく痰飲に関してですが、宋代、王執中著『針灸資生経』の痰涎では、以下のような記述があります。
巨闕は熱病で胸中の痰飲を治す。腹脹して突然痛み、恍惚として人がわからないのを治す。
膈兪は痰飲で吐逆して汗が出て、悪寒発熱、骨痛し、虚脹して痰瘧に苦しむのを治す。胆兪は痰煩を治し、上カン(CV13)は痰多く涎を吐くのを治療する。
痰涎などの証は単一ではなく、労際(=結核)が難治であり、膏肓に灸するが最も宜しい。
鍼灸で痰証をどのように祛痰して治療してきたのかを歴史的に探ると非常に面白いです。
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