1983年に北京の文物管理組織が考古学的発掘により、明代の城壁を発掘しました。
ここから天聖5年(1027年)から天聖8年(1030年)の間につくられた鍼灸の図をかいた石碑が発掘されました。
王惟一の『銅人しゅ穴鍼灸図経』は北宋の天聖四年(1026年)に作成され、銅人が大相国寺に安置されましたが、金との戦争で逸失しました。
翌1027年に宋政府はこれを石碑に刻むように命令したそうです。
1279年に元(モンゴル)は南宋を滅ぼし、モンゴル帝国の首都・大都(北京)にうつされます。
1368年に明王朝が成立し、受け継ぎます。
これは貴重な石碑であり、東洋医学の歴史遺産になると思います。
コメント