中国の『経絡論争』紹介

1957年「日本針灸学の『古典派』『科学派』両派の論争の見解とみかた」
对于日本針灸学上“古典”、“科学”兩派爭論的見解和看法
謝永光
《中医杂志》 1957年05期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-ZZYZ195705015.htm


1952年に皮電点研究会(石川太刀雄・代田文誌)の米山博久先生が経絡否定論を『医道の日本』で発表し、竹山晋一郎先生と経絡論争を繰り広げました。

紹介しているのは香港鍼灸名医、謝永光先生です。承淡安先生の弟子であり『香港中醫藥史話』の著者です。

1952年に中国では承淡安先生の弟子である邱茂良先生が『鍼灸と科学』を出版されています。1951年には朱璉先生が鍼灸療法実験所の所長となり、『新鍼灸学』を出版しました。

当時は、中国でも朱璉先生のようなパブロフ学説・神経反射学説に立つ学派と、日本留学経験のある承淡安先生のような伝統派がありました。その中で承淡安先生が日本の丸山昌朗先生の『経絡の研究』を1955年に翻訳出版し、中国で日本鍼灸ブーム、経絡ブームが起こります。
この謝永光先生による日本の『経絡論争』紹介は、まさに中国の弁証論治の形成期におこなわれました。

ちょうど1955年に 劉貴珍先生が祖国医学に大きな貢献をしたとして中醫研究院の創立式で賞を受賞し、『中医雑誌』に論文が掲載されました。

1955年「実験研究中である中医気功療法」
在实验研究中的中医气功疗法
刘贵珍
《中医杂志》 1955年10期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-ZZYZ195510011.htm

1956年には北戴河氣功療養院が設立され、ここで劉貴珍先生は劉少奇の妻や周恩来の兄弟を治療しました。当時、江蘇省中医進修学校(のちの南京中医学院・南京中医薬大学)では江蘇省衛生庁の庁長だった呂炳奎先生の『中醫學概論』がテキストとして使われ、1958年に人民衛生出版社から出版されます。この『中医学概論』では気功が全面的に採用されました。これは9年後の1965年には日本で『中国漢方医学概論 (1965年)』(中国漢方医学概論刊行会)として翻訳出版されました。世界初の中医学の本であり、日本で最初に翻訳された中医学の専門書です。

中国漢方医学概論 (1965年)
南京中医学院 編 中国漢方医学概論刊行会 (1965年)

1956年に書かれた呂炳奎先生の南京中医学院編『中醫學概論』に気功が掲載されています。呂炳奎先生は江蘇省中医学校(後の南京中医薬大学)の名誉校長となり、校長として承淡安先生を任命します。個人的には、承淡安先生の文章を読んでいると、この経絡現象と気功が大きかった印象を受けます。

1955年に任応秋先生が「中医の弁証論治の体系」という論文で「弁証論治は中医学で臨床上、不可欠な基本的知識である」と提唱しました。

1955年「中医の弁証論治の体系」
中医的辨证论治的体系
任应秋
《中医杂志》 1955年04期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-ZZYZ195504009.htm

1957年に秦伯未先生が「中医学の『弁証論治』概説」を出版します。

1957年 「中医学の『弁証論治』概説」
中医“辨证论治”概说
秦伯未
《江苏中医药》 1957年01期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-JSZY195701001.htm

このような流れの中で1958年、陸痩燕先生が「針灸弁証論治における処方から配穴に至る順序の原則」を発表されます。

1958年12月「針灸弁証論治における処方から配穴に至る順序の原則」
从针灸的辨证论治程序谈到处方配穴原则
陆瘦燕
《上海中医药杂志》 1958年12期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-SHZZ195812005.htm…

また、承淡安先生の門下である、 内科医であった楊長森先生が、中医薬の理法方薬を応用して、鍼灸弁証論治の理法方穴術という考え方をつくりました。楊長森先生は1950年代に『鍼灸学講義』という教材を作成し、これは教材となり、1980年代に『鍼灸治療学』という教材となりました 。

承淡安先生の門下である邱茂良先生は1956年に『内科鍼灸治療学』を出版されました。1962年に以下の論文を書かれています。

1962年「針灸療法と弁証施治」
针灸疗法与辨证施治
邱茂良
《江苏中医药》 1962年05期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-JSZY196205000.htm

1951年には朱璉先生が鍼灸療法実験所の所長となり、『新鍼灸学』を出版し、中国でも科学派が強力になりました。

1955年から承淡安先生が『経絡の研究』など日本鍼灸を次々と紹介しました。沢田健先生・代田文誌先生の『鍼灸真髄』、赤羽幸兵衛先生の『知熱感度測定法』、本間祥白先生の『経絡治療講話』、原志免太郎先生の『新しい灸学と其應用』、そして日本の経絡論争の紹介です。

科学派と対抗するなかで臓腑弁証中心の中医学の弁証論治は形成されたようです。そして、内科の漢方(中薬)の影響を受ける形で、内科中心の針灸弁証論治も形成されていきました。しかし、1950年代の創成期の中医師たちは経絡現象と気功にインスパイアされることが多かったのだと思います。

参考文献:
2006年「中医弁証論治体系の形成と発展」
中医辨证论治体系的形成和发展
薛飞飞 陈家旭
《北京中医药大学学报》 2006年10期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-JZYB200610001.htm
http://www.paper.edu.cn/scholar/showpdf/NUj2UNyIMTD0kxeQh
(オープンアクセス)

http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-ZZYZ195705015.htm

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