【BOOK】『葬式仏教の誕生-中世の仏教革命』

 
松尾 剛次
平凡社 (2011/8/11)
 
葬式仏教の誕生
 
 
奈良時代の奈良仏教は純粋な論理研究・哲学研究・学問なので、南都六宗の華厳宗の僧侶が亡くなった時は、いまでも他宗の仏教僧侶などに葬儀をしてもらうそうです!
 
平安時代はまるでインド文化のようです。
遺体は河原や橋、辻(道路)に捨てていました。風葬・遺棄葬です。病人は路上に放置、死期が近くなると、病人は自ら河原に行って死を待つなど、今では考えられない価値観です。平安時代は郊外に遺体を遺棄する蓮台野(れんだいの)、化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)の鳥葬・風葬地が定着していきます。野ざらしであり、墓など存在しません。
 
神道由来の穢れ思想があり、仏教の官僧は遺体に触れたりしたら穢れのために朝廷の神事に参加できないため、奈良時代と平安時代の仏教は葬儀に関わりませんでした。また、当時は貴族が出家して僧侶(政府公認の官僧)となるため、官僧の世界は腐敗しきっていました。
 
 
鎌倉時代になると、腐敗した官僧の世界を辞めた遁世僧が増えました。鎌倉新仏教の法然、親鸞、日蓮、栄西、道元はいずれも遁世僧でした。
 
当時は阿弥陀の力で西方浄土に生まれ変わりたいと願う阿弥陀信仰や弥勒の力で兜率天浄土に生まれ変わりたいと願う弥勒信仰が強くなりました。
念仏僧や禅僧・律僧などは穢れを考慮せず、むしろ積極的に葬儀と関わるようになりました。
 
弥勒信仰では、56億7千万年後に弥勒による救済が訪れるため、遺灰をおさめる目印として石製の碑や五輪塔が建てられるようになりました。弥勒に発見してもらうために長持ちさせる目印である必要があるからです。目印としての墓石が誕生していきます。
 
 
江戸時代となり、キリシタン対策のため、江戸幕府は寺請制度・檀家制度をはじめます。全ての日本国民は仏教徒となり、仏教は葬式仏教となりました。江戸幕府は僧侶の妻帯を禁じますが、浄土真宗にのみ妻帯を許したため、後継ぎを得やすい浄土真宗は日本最大の宗派となっていきます。
 
宗教学者によれば、日本人は村という地域社会が基本で、正月には神社に初詣に行き、お盆には墓参りをする神仏習合の盆と正月の墓参り教です。
 
さらに儒教の先祖崇拝が混じり、日本人は先祖の霊と家を崇拝しています。本来の仏教は出家して姓名を捨てるので、先祖崇拝は存在しません。
 
戦後の高度経済成長期にムラ社会や地域社会が崩壊し、都市化と核家族化した結果として、墓を継ぐことが不可能になってきました。
 
江戸時代は儒教の影響で土葬が中心で、明治維新で神道が火葬禁止を法制化しますが、諸事情から戦前の1930年代には火葬率が50パーセントに至り、戦後はほとんど火葬となります。遺灰にすることで移動可能になったことが大きいと思います。
 
 
1960年代には自宅で死を迎える人が大部分でしたが、1980年代にはほとんどが病院で死を迎えており、おそらくこのことも死生観に影響しています。
 
江戸時代以来の檀家制度から日本では「葬式仏教」が主流でしたが、未婚・少子化社会では「イエ」と「ムラ(地域社会)」の存続を前提とした檀家制度は持続不可能です。20年もすれば、日本では江戸時代以来の死生観の大転換期が訪れると感じました。
 
 

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