宮廷医学

 
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2023年2月23日 『新華網(新華社通信)』
「宮廷医学のシステム化、標準化と発展のために各王朝を深層研究する」
深入各朝代 宫廷医学研究走向体系化、规范化发展
 
 
中医学を代表する陳可翼先生が宮廷医学の研究に関わっているので少し驚きました。
 
陳可翼先生は、毛沢東のために1978年に丹参を主薬とした注射薬、冠心2号を開発しました。1980年には精製冠心片となり、10年後の1990年には様々な経緯をへて冠元顆粒として日本のイスクラ産業から発売されています。
 
陳可翼先生は、1981年に『中西医結合雑誌』を創刊した歴史上の人物でもあり、1990年に書かれた『血瘀証与活血化瘀研究』(上海科学技術出版社)は名著だと思います。
 
わたしは北京の王府井書店で『中国宮廷医学』という文献をみつけて、即買いしたのですが、この文献には歴代王朝の皇帝の寿命と死因が巻末にありました。明代の中期の皇帝たちは、ほとんどが30代で亡くなり、死因は水銀中毒と毒殺とアルコール中毒でした。宮廷内で附子などの毒を扱える職業は、宮廷医しかいません。その記述を読んで以来、宮廷医学には興味をもっています。
 
 
宮廷医学には良い面もあります。清代の光緒年間に紫禁城で目病が流行した際に、光緒帝が名薬を募集し、徽州の行政長官が献上して効果があり、賞賛されたことから「貢」の名前がついた貢菊が菊花茶として有名です。菊花は目に効果があり、その際にこの光緒帝のエピソードがよく紹介されています。
 
 
三国志時代、華佗は鍼灸で曹操の頭痛を治していましたが、誅殺されました。金元四大家の劉完素や張従正は金の皇帝に侍医になるように請われましたが、辞退しました。
 
明代の暗黒時代などを見る限り、権力との関係は非常に難しいと思います。明代は特に言論弾圧の時代であり、知識人にとっては危険極まりない時代でした。
 
1822年、清朝の道光帝は、歴代皇帝が太医院に鍼灸専門家を置いていたのに対し、永久に鍼灸科を停止しました。それ以来、政界と学術界は鍼灸から離れていきました。鍼灸の没落は100年も続き、100年後(1922年)に生き残っている鍼灸家は数えるほどでした。
 
宮廷医学の実情を知れば知るほど、宮廷医学とは距離をとると思います。
 
 
 

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