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マジカルな中医学 武医同源

 

習近平主席は中国四大文化として中医、武術、京劇、書道を挙げています。

しかし、武医同源は本当なのでしょうか。

北京の賀普仁先生は董海川につらなる八卦掌の伝承者の一人ですが、少なくとも私が話した先祖代々の中医師の先生は「中国では中医は文人です。文人と武人は違います。日本では鎌倉時代、室町時代、江戸時代と武人政権が続き、武人がインテリ層ですが、中国では全く違います。だから、この感覚は理解しにくいかもしれません」とおっしゃっていました。

確かに惲鐵樵先生は最初、文学者で、その後、中医となりました。『鍼灸学』を書いた裘沛然先生は単なる中医師ではなく、『辞海』という中国語辞典の編纂にも関わった人文学者で大教養人でした。

 

上海「推拿・一指禅派」は、1860年頃に清代の李鉴臣という少林寺の武術家から始まります。

2代目の丁凤山先生→3代目の丁树山先生→4代目の朱春霆先生→5代目の朱鼎先生に伝わりました。

4代目の朱春霆先生は、1936年の『大辞海』に掲載された唯一の推拿医家で、12歳から父親に黄帝内経を読まされ、15歳から臨床し、17歳で丁树山先生に入門し易筋経を行っていましたが、朱子学の朱熹の子孫という文人です。

推拿・袞法派は 初代李鉴臣→ 2代目の丁凤山先生→3代目の丁树山先生の子どもの丁季峰先生が1940年代に創始しました。丁季峰先生は1978-1984年に上海中医学院附属岳阳医院推拿科主任を務め、1994年に『推拿大成』を出版しました。

現在の中国の推拿は、これらの上海の少林寺由来の推拿です。上海の推拿・三大流派のいずれもが少林寺から出ました。そして上海で最初に推拿学が確立され、それが中国と世界に広がりました。

しかし、私の疑問として一指禅推法という手技は中国伝統医学の小児推拿の「推法」とは似ても似つかない手技です。推拿の一番基本の手技である推法の意味が違うので、別系統の医学なのです。少林寺医学は、明らかに中医学とは別系統の医学という印象があります。

 

今は上海の推拿流派が世界に広がり、スポーツ選手を治療しています。少林寺の武僧を治していた武術医学・仏教医学はスポーツ選手に適します。
少林寺由来の上海のダイナミックな推拿手技と、「本当の」中国伝統医学の小児推拿のソフトな手技は似ても似つかないです。

武医同源は、中国以外の国々の人々が持つ東洋へのあこがれの気持ちを中国の人々が上手くチューニングして創った幻想という印象があります。

 

 

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