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【BOOK】『シェフを「つづける」ということ』

 
井川直子
ミシマ社 (2015/2/27)

 
 
以下、引用。
 
「はじめた」ひとたちは、「つづけた」その先をどう生きている?
10年で奇跡、30年で伝説。
イタリアで修業した15人、その後の「10年」を追う。
 
 
ライターの井川直子さんは、2003年にイタリアで修行する日本人コック24人を取材した本、『イタリアに行ってコックになる』でライターとしてデビューしました。その井川直子さんがイタリアで修行した若者たちの10年後を取材した本です。
 
 
柴田書店

 
 
以下、引用。
 
当時、彼らは、まだ、道の途中を歩く人だった。
この先、日本に帰ってコックを続けるのか、シェフになるのか?自分の店を持つことになるのか。それとも別の職業に就くのか?まったく未知数の、まだ、夜明け前。
イタリアで修行したという渡航歴より、どこで、どれくらい、何をしてきたのか。もっといえば、人にはない何かを得たのか、という中身が問われる世代である。人とは違う経験、自分でなければできない料理。何かしら自分の「核」といえるものを見つけなければ、帰れない。厳しいが、そういう意識の無い者はふりおとされる。自分の「核」を求める者は、修行の仕方から考え抜いた。だが、そうして「核」をみつけて帰ったとしても、そのとき、日本のイタリアン人気はまだ続いているのだろうか?
そこに自分の入る余地はあるのか?
何重もの不安を抱えながら修行する。彼らはちょうど、そんな時代に生きていた。
告白すると、取材当時、失礼ながら、帰国後にシェフになる人は少ないかもしれないと覚悟していた。けっして「なれない」と思ったのではなく、現実問題、数だけ見れば、飲食業で身をたてるのは困難だからだ。
けど、予想に反して、十年後、シェフとなって料理も店もつづけている人は少なくなかった。彼らはどんな道のりを辿ってきたのか。なぜ、続けることができたのか。
 
 
イタリア修行中に母親が筋萎縮性側索硬化症(ALS)となり、介護のために帰国したシェフ、
帰国後、激務の最中に脳炎で倒れ、下半身不随となった「車いすシェフ」。
 
オーナーと料理の方針の違いによるケンカ別れなんて当たり前で、それを何度も繰り返しながら、もがいて、試行錯誤して、不本意な雇われシェフであっても、歯をくいしばって「シェフであり続けた」15人の10年間の記録です。
 
井川直子さんはnote連載「何が正解なのか、わからない」というタイトルで料理人たちの記録を発信し続けています。
 
井川さんは「何か正解なのか?わからない」と繰り返しながら、「彼らは何万分の1の確率でシェフになったが、天才でも特別な人でもなく、つづけられた人たちだった」と述べています。
 
一つ感じたのは、本当の「ビルトゥングス(Bildungs)」とは、このシェフのような人たちが経験を通じて得た知恵のことを言うのだということです。
 
ドイツ語のビルトゥングスは、日本語では「教養」と翻訳されることが多いです。「ビルトゥングスロマン(Bildungsroman)」が「教養小説」と翻訳されたことが大きいかと思いますが、「ビルトゥングス」とは、体験や経験を通じて内面的に人間が成長していくことです。
 
技術史学者の中岡哲郎先生は『人間と労働の未来』(中公新書1970年)で教養について述べていますが、職人が修行をする中で歴史を知り、材料を見る目を養い、業界でリーダーシップを発揮し、人材を育成することでお弟子を育てることで人格や人生を形成していくことです。
 

 
 
教養は経験でしか学べないものです。
わたしが鍼灸の世界に求めたのは、この意味での教養やマイケル・ポランニーのいう「暗黙知」、中村雄二郎のいう「臨床の知」です。
 
ビルトゥングスはインターネット上ではけっして得られないものであり、『シェフを「つづける」ということ』は、まさにその部分を書いた稀有な本だと思いました。
 
まえがき 
第一章 僕は料理しかできへんから
第二章 ビジネスの視点から見れば、それはもう面白い国
第三章 悠久の舞台から世界へ
第四章 イタリア料理を、アジアに伝える鍵
第五章 故郷で、生活を築きたい
第六章 車椅子シェフという自由
第七章 もがいて、もがいて
第八章 年輪の味
第九章 それぞれの道 
あとがき
 
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