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ソフトパワーとしての中国伝統医学

2022年2月3日『フロンティア・イン・ヒューマン・ダイナミクス』
「いかにして中華人民共和国は『健康(中国伝統医学)』をソフトパワーとして世界で有利な立場に立ったのか」
How the People’s Republic of China Harnessed Health to Leverage Soft Power on the World Stage
Paul I Kadetz
Frontiers in Human Dynamics, 3, article no. 774765.

 

以下、引用。

ロックフェラー財団は、外交におけるソフトパワーを主張した。ジョゼフ・ナイによれば、パワーとは国家の行動を変える力である。

この論文では、4つの健康に関する活動が中国のソフトパワーとして世界を舞台にどのように活動したかを検討する。

1つは、毛沢東による中国伝統医学と生物医学の統合が不公平なヘルスケア・アクセスを是正したこと、2つ目はこの統合がいわゆる中国伝統医学の輸出をいかに促進したかである。

中西医結合を達成するために毛沢東は生物医学の医師を雇い、ロックフェラーが資金を提供した北京協和医院の医師たちの力をかりて中国伝統医学から迷信と精神的要素を取り除いた。

(中国はアフリカに中国伝統医学による医療援助をおこなってきたが)長期にわたる中国=アフリカの健康政策は、ソフトパワーとして、少なくとも中華人民共和国の1971年の国連加盟に影響を及ぼした。

「中国のはだしの医者政策」の成功は、(アルマアタ宣言による)WHOの低所得国のヘルスケア・アプローチのパラダイムシフトをもたらした。

2)毛沢東の国宝としての中国医学というレトリックは、愛国主義運動の産物だった。

5)文化大革命の間、中医学古典は焼かれた。中国伝統医学の学校は閉鎖され、中医師はあざけりや身体的攻撃の対象となり、臨床や薬局は破壊された。

 

中国の権威主義的なトップダウンの政治システム(毛沢東の独裁)という中国独自の事情が中医学を産み出した背景であって、それを世界の各国やWHOが採用することを論文著者は批判しています。これは非常に優れた論文ですが、何よりの驚きは以下の部分です。

以下、引用。

【(はだしの医者などの)プライマリ・ヘルスケア・モデルは中華人民共和国が起源だと考えていたが、実は中華民国におけるアメリカモデルである】

これまでのところ、プライマリ ヘルスケアの基礎となったこのモデルは毛沢東に始まり毛沢東で終わるという基本的な仮定を立ててきた。しかし、中華民国時代の中国の医療に対する西側、特に米国の影響を考えると、そのような仮定に異議を唱えることができる。ロックフェラー財団のジョン・グランドは、コミュニティーヘルスケアのシステムを認識していて組織のコアとしていた。

プライマリ・ヘルス・ケアの概念は、毛沢東の「はだしの医者」ではなく、ロックフェラー財団のジョン・B・グラントによってつくられたという驚愕の結論です。検証したら、客観的事実だったので、驚愕しました。

 

2021年9月1日カーネギーメロン大学
「ロックフェラー財団のグローバル・ヘルスと中国のモダン・ヘルス・デベロップメント」
Rockefeller Foundation’s Global Health and China’s Modern Health Development
Liping Bu
Revista História. Debates e Tendências; Vol 21, No 3 (Year 2021).
Published: 01 September 2021

 

 

1901年に 設立されたロックフェラー医学研究所の初代理事長は サイモン・フレクスナーです。

1904年に、ロックフェラーのスタンダード石油は第1次世界大戦に敗北したドイツでIGファルベン・インダストリーという製薬会社に出資します。同年、野口英世がサイモン・フレクスナーの誘いでロックフェラー医学研究所に移籍します。1907年にアメリカのメソジスト教会、アメリカ長老派教会、アメリカ組合教会などは合同して北京協和医院を建てます。

中国における西洋医学は、プロテスタントの医療宣教師が担当していました。それらのキリスト教会が合同して 北京協和医院を創りました。

プロテスタント医療宣教師たちの中国医療伝道協会は『中華医学雑誌=中華博医会報(CMJ:China Medical Journal)』を1907年から発行しはじめました。

1910年にサイモン・フレクスナーの弟のエイブラハム・フレクスナーがいわゆる「フレクスナー報告書」を出版します。

1911年に義和団事件の賠償金でアメリカ政府はアメリカ留学予備校、清華大学を創ります。

1914年にはスタンダード石油の重役、フレデリック・テイラー・ゲイツがロックフェラー財団・中国医学ボードを創り、中国を「西洋医学化」する計画をたて、当時の2億ドルの予算を北京協和医院につぎこみました。

1915年、ロックフェラー財団はアメリカのプロテスタント教会から北京協和医院を買収して、北京協和医科大学病院に名前を変えました。

1917年にカナダの宣教師の息子で中国で育ったロックフェラー財団のジョン・B・グラントがジョン・ホプキンス大学を卒業し、中国で鉤虫駆除の活動をはじめます。

ジョン・グラントは、中国の農村で伝統助産師たちを再トレーニングし、農村部に巡回診療所をつくります。このジョン・グラントによるロックフェラー財団の事業は、1937年の日本による中国への盧溝橋事件による日中戦争の開始により終了しました。

中国における西洋医学の歴史は、アメリカの医療宣教師による医療伝道と関連していたことが現在は人文科学・社会科学の研究により明らかになってきました。さらに、ロックフェラー財団の活動が、中国における公衆衛生、プライマリヘルスケアの歴史と関連しています。

 

【中華民国のキリスト教と西洋医学と財閥「四大家族」】

1925年に中華民国建国の父、孫文はロックフェラー財団の北京協和医院で亡くなりました。

孫文は革命家になるまえは西洋医学の医師でした。中国に西洋医学を普及しようと毎年2億ドルをつぎこんでいたロックフェラー北京協和病院は、中国で最も西洋医学のレベルが高かったのです。そして、孫文は革命家になる前はキリスト教に傾倒し、香港で医学を学び、マカオで西洋医師をしていました。

孫文の妻の宋家三姉妹、 宋慶齢さんはアメリカのメソジスト派キリスト教会のウェズリアン大学を卒業しています。宋家三姉妹の父、宋嘉澍はメソジスト派キリスト教の宣教師としてアメリカのヴァンダービルト財閥がつくったヴァンダービルト大学の神学部を卒業して上海に派遣されました。

宋嘉澍さんの長女、宋靄齢さんは、アメリカの メソジスト派のウェズリアン大学に留学し、在学中にセオドア・ルーズベルトに会っています。

宋靄齢さんは、孔子の子孫を自称する孔祥熙と結婚します。孔祥熙は漢方医の治療が効かず、アメリカ人宣教師の医療を受けて治ったことからキリスト教に改宗し、アメリカ組合教会の名門オバーリン大学とイエール大学を卒業します。中国シェル石油の代理人として私腹を肥やし、中華民国の「四大家族」と呼ばれる財閥の代表となりました。

宋嘉澍の三女、宋美齢さんは アメリカのメソジスト派のウェズリアン大学に留学した後、アメリカの名門、ウェルズリー大学を卒業し、蒋介石と結婚します。結婚式はキリスト教式でおこなわれ、蒋介石はメソジスト派キリスト教に改宗しました。

宋美齢さんはフランクリン・ルーズベルト大統領やエレノア・ルーズベルト大統領夫人の親友であり、米軍と親密な関係を築きました。1975年に蒋介石が死亡すると台湾を去り、ニューヨークに巨大な邸宅を構えました。

宋嘉澍の次男、宋子文さんは上海聖ヨハネ大学というキリスト教大学を卒業し、メソジスト派の宣教師となり、アメリカに留学し、ハーバード大学を卒業、コロンビア大学を卒業し、ニューヨークで銀行員をしていました。のちに中国の中央銀行を上海に創設して総裁となりました。1949年に中華人民共和国ができるとアメリカ・ニューヨークに逃亡し、アメリカで死亡しました。 宋子文さんは中国経済を支配した「四大家族」の1人でした。

蒋介石、宋子文、孔祥熙、陳立夫の中華民国「四大家族」の最後の1人、 陳立夫さんはピッツバーク大学で修士号を取得し、中国軍の司令と特務機関を担当しました。1949年に中華人民共和国が成立すると1950年にアメリカに亡命し、コロンビア大学で研究員を務めました。

中華民国の「四大家族」の特徴は、キリスト教徒であり、アメリカの名門大学を卒業し、米国を心の祖国としていることです。

 

 

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