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【BOOK】『「日本心霊学会」研究: 霊術団体から学術出版への道』

 
栗田 英彦 (編集)
人文書院 (2022/10/27)
 

 
 
サルトルの『嘔吐』や『存在と無』、フロイト著作集やユング・コレクションで知られる出版社、人文書院の前身は、日本心霊学会でした。
 
1906年(明治41年)に創業者の渡辺久吉が京都に日本心霊学会をつくりました。
 
渡辺久吉は浄土宗系の仏教大学の前身である浄土宗専門学校を卒業し、霊術家の木原鬼仏に耳根円通法を学んでいました。
 
さらに当時の仏教界は明治維新の廃仏毀釈で方向性に苦しんでおり、井上円了は仏教改良運動をおこない、哲学館(現代の東洋大学)を創ります。
井上円了の哲学館から調和道丹田呼吸法の藤田霊斎が出ます。 
また、曹洞宗からは原担山、原田玄龍から木原鬼仏に伝えられた耳根円通法が出ています。
 
近代日本の民間精神療法(=霊術)の流れをみると、仏教を源流としているものが驚くほど多いです。
 
明治時代は福来友吉による催眠術ブームがありましたが、1908年に刑法で催眠術が禁止されます。
 
そこで精神療法は霊術となります。日本心霊学会は仏教寺院に副業として霊術をすすめ、機関紙『日本心霊』七万部を全国の寺院に無料配布し、仏具店などの広告を入れてビジネス化していきます。
 
1927年に日本心霊学会は人文書院となり、1930年に警視庁令第四十三号「療術行為ニ関スル取締規則」ができます。人文書院(日本心霊学会)は仏教から霊術から離れて、人文系出版社となっていきます。
 
この仏教→霊術→療術の歴史的な流れを知り、思い出したのは、あん摩マッサージ指圧師の厚生労働省認可の養成施設である長生学園の長生療術です。
 
1930年(昭和5年)に警視庁令第四十三号「療術行為ニ関スル取締規則」ができます。
 
1931年(昭和6年)に浄土真宗大谷派の僧侶、柴田純宏先生が「霊肉一体の救済」を謳った脊椎矯正法を編み出し、仏教精神を基盤とした独自の脊椎矯正や精神療法、プラーナ療法による治療法を長生療術と名付けます。
 
1947年(昭和22年)に浄土真宗大谷派の僧侶、柴田純宏先生は浄土真宗系の新興宗教として宗教法人長生教団を立ち上げました。
 
1954年(昭和29年)に柴田純宏先生は亡くなります。
 
1957年(昭和32年)に二世管長の柴田阿やが長生学園を創設し、あん摩マッサージ師の養成施設として認可されました。
 
長生学園の長生療術は、戦前の仏教と精神療法、プラーナ療法、脊椎矯正法などの霊術・療術が入り混じった時代の歴史的流れから、ようやく理解できた印象があります。
 
 
吉永進一編『近現代日本の民間精神療法』では、近代日本の民間精神療法、いわゆる霊術を、
1.萌芽期(1868-1903)
2.精神療法前期(1903-1908)
3.精神療法中期(1908-1921)
4.精神療法後期(1921-1930)
5.療術期(1930-1945)
に分類しています。
 
 
【1.萌芽期(1868-1903)】
曹洞宗の僧で東大インド哲学科講師の原担山が脳脊異体惑病同源論を唱え、民間精神療法技術を書きました。
 
川合清丸は『気海丹田吐納法』を出版します。
 
禅僧・釈宗演の門下の居士、鈴木大拙が1898年に『静坐のすすめ』を書きます。
 
仏教の井上円了は仏教改良運動をおこない、哲学館を創り、1904年に『心理療法』を出版します。
 
 
【2.精神療法前期(1903-1908)】
1905年に岡田虎次郎が精神療法の看板を掲げて開業し、1910年には岡田式静坐法を提唱します。
 
1908年に真言宗の僧侶、調和道丹田呼吸法の藤田霊斎が『実験修養 心身強健之秘訣』を出版します。
 
1905年に『新仏教』の加藤咄堂が『冥想論』を出版します。
 
1905年に耳根円通法の木原鬼仏が心霊哲学会を発足します。
 
1905年に桑原俊郎が精神学会を組織しますが、1906年には33歳で夭折しています。
 
浜口熊嶽がこの時期、活躍しました。
 
 
【3.精神療法中期(1908-1921)】
1914年に仏教者、平井金三が『心身修養』を出版しています。
 
1915年にプラーナ療法のラマチャラカの『深呼吸強健術』が出版されています。
 
1916年に太霊道の田中守平が活躍しました。谷口雅春や友清歓真も太霊道に所属していました。
 
1917年に松本道別が人体ラジウム学会を設立します。
 
1918年に江間俊一が『江間式心身鍛錬法』を出版します。
 
1915年に渡辺藤交が日本心霊学会を創立し、機関紙『日本心霊』を創刊しました。
 
 
【4.精神療法後期(1921-1930)】
1922年に桑田欣児が帝国心霊研究会を発足させます。桑田欣児は1934年に真生会をつくり、指圧療法で療術業界を席巻します。1943年に『指圧療法』を出版しています。1949年に指圧療術を捨てて宗教法人真生会となります。
 
1922年、臼井甕男が57歳のときに鞍馬山にこもって断食して臼井霊気療法、レイキを開発しました。
 
1925年に帝国軍人だった江口俊博は、50円という大金を払って臼井甕男にレイキを学びました。しかし、50円(現代の50万円ぐらい)という当時の大金を払わないといけないことに嫌気がさしたそうです。1930年に江口俊博と三井甲之は、レイキをベースにした手のひら療治をシステムとして完成させます。
 
1925年(大正14年)に玉井天碧先生が『指圧法』を出版します。
 
1926年(大正15年/昭和元年)に高橋 迪雄が『正体術』を出版します。高橋迪雄は1938年に函館で橋本敬三医師に出会い、橋本敬三はのちに『操体法』を発表します。野口整体の野口晴哉の12体癖や、身体均整法の亀井進の12種体型学に多大な影響を与えました。
 
1930年(昭和05年)に平田内蔵吉は平田式熱鍼療法を創始し、ヘッド帯を応用した平田式体表十二反応帯を提唱します。肥田春充の聖中心道・肥田式強健法から、平田・肥田合作の経絡式中心操練法という体操を創始しました。
 
 
【5.療術期(1930-1945)】
1930年(昭和5年)に警視庁令第四十三号「療術行為ニ関スル取締規則」ができます
 
1930年(昭和5年)頃から野口整体の野口晴哉が『全生』の活動を始めます。
 
1930年(昭和5年)に西医学の西勝造が『西式強健法と触手療法』を出版します。
 
1931年(昭和6年)に浄土真宗大谷派の僧侶であった釈長生が脊椎矯正法を編み出し、仏教精神を基盤とした独自の脊椎矯正による治療法を長生療術と名付けて、全国各地を治療や布教にまわりました。
 
1932年に武術家の奥山龍峰が平田内蔵吉から指圧をおそわり、北海道旭川市で皇方義塾をつくり、指圧療法家を養成しはじめました。八光流柔術の皇方指圧は戦後にフランスで普及されます。
 
1934年に田野倉快泉が『無薬医術 指圧療法』を出版します。この中で指圧はオステオパシー・カイロプラクティック・スポンディロセラピーと結び付けられています。
 
1935年(昭和10年)に民間療術師、岡田式神霊指圧療法の岡田茂吉が手かざしを浄霊と称して指圧治療院を経営しはじめ、これは戦後にGHQの療術の弾圧を逃れて世界救世教という新宗教となりました。
 
1940年(昭和15年)に浪越徳次郎先生が日本指圧学校を開校します。浪越徳次郎先生の浪越流指圧の特徴は霊術の雰囲気を完全に切り捨てたところです。
 
つまり、戦前の流れをみると、霊術は仏教や修験道、神道などの宗教やメスメリズム催眠などが源流です。そこから催眠ブームと法規制があり、精神療法と名前を変え、1930年の警視庁の療術取締規則以降の療術期(1930-1945)に宗教に鞍替えしたり、逆に指圧・整体への接近がありました。
 
戦後の療術の流れは、いまだに歴史的な研究は十分にされていないと思います。現代の傾向としては、例えば現在、整体を名乗る療術に武術系が多い印象がありますが、歴史的には1921年の『山田式整體術講習録』でのオステオパシー紹介で最初に使われた用語が「整体」であり、「整体」というコトバには100年程度の歴史しかありません。実は、霊術も整体も療術も、近代と西洋的な思考が生み出したものだと推測しています。
 
 
第一章 日本心霊学会の戦略………一柳廣孝
 はじめに
 一 日本心霊学会の理念とその特徴
 二 会員の獲得と組織の構築――「日本心霊 創立十周年記念号」から
 三 人文書院の出版戦略
 おわりに
コラム1 民間精神療法のなかの日本心霊学会………平野直子
第二章 日本の心霊研究と精神療法………吉永進一
 一 催眠術と心霊研究
 二 日本の催眠術と心霊研究、その濫觴
 三 催眠術の土着化と魔術化
 四 催眠術の興隆と変容
 五 催眠術師の勃興と衰退
 六 養生、修養、精神療法
 七 心霊研究
コラム2  H・カーリングトン『現代心霊現象之研究』を翻訳した関昌祐の心霊人生………神保町のオタ
第三章 大正期日本心霊学会と近代仏教――「外護方便」としての心霊治療………栗田英彦
 はじめに
 一 プラクティスの近代
 二 「外護方便」のメディア戦略
 三 会員・支部から見る日本心霊学会
 四 「新宗教」としての日本心霊学会
 おわりに――民間精神療法の比較分析から
コラム3 句仏心霊問題………栗田英彦
第四章 越境する編集者野村瑞城――『日本心霊』紙上の「神道」と「民俗」を中心に………渡勇輝
 はじめに
 一 「霊肉一致」と高僧伝
 二 「シヤマニズム」への傾倒と「神道」の発見
 三 「フオクロリスト」の自覚と柳田国男への接近
 四 脱退、その後の「神道」と「民俗」
 おわりに
コラム4 日本心霊学会編集部代表・野村瑞城(政造)の作品と略歴………菊地暁
第五章 編集者清水正光と戦前期人文書院における日本文学関係出版 ………石原深予
 はじめに
 一 日本心霊学会(民間精神療法団体)から人文書院(出版社)への移行
 二 清水正光の経歴と著書について
 三 川端康成と清水正光
 四 編集者清水正光と戦前期人文書院における日本文学関係出版
 おわりに
特別資料 西田直二郎・折口信夫講演録 (「日本心霊」より)
 年中行事と民俗研究………西田直二郎
 門 ◆ 精靈と大伴と物之部………折口信夫
 西田・折口講演解題………菊地暁
あとがき………栗田英彦
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