日本の鍼灸流派の論文

 

 

2011年『国際中医中薬雑誌』発表
「日本の有名な針灸流派の概説」
「日本著名针灸流派概说」
肖永芝 , 张丽君 , 黄齐霞『国际中医中药杂志』, 2011,33(05): 461-464.
(全文無料オープンアクセス論文)

 

【入江流】

日本の著明な流派として、豊臣秀吉の時代の入江頼明の入江流から日本鍼灸の流派の話が始まります。
入江流の山瀬琢一のところに杉山和一が入門して杉山流となりました。
入江流は謎の流派でしたが、2002年に覆刻本が出版されました。

「皆伝・入江流鍼術―入江中務少輔御相伝針之書の覆刻と研究 (和方鍼灸セレクション (1)」
大浦 慈観  六然社 (2002/11)

 

【吉田流】

1550年代に出雲大社の神主から明に7年間留学して明人・琢周に学んだ吉田意休が創始した流派です。子孫の吉田一貞は福井藩に仕え『蟲書(むしのしょ)』を著しました。

 

【夢分流(むぶんりゅう)】
慶長年間に近江の夢分斎が始めた流派で『鍼道秘訣集』が有名です。

しかるに、当流は十二経、十五絡脈、任督両脈を考え鍼せず、根本の五臓六腑に心眼を付き、枝葉に構わず、鍼は心なりと和訓して、心を以て心に伝え、教外別伝(きょうげべつでん)、不立文字(ふりゅうもじ)と号するが故に、他流の如き遠理の廻り、遠なる療治(空理空論のまわりくどい治療)は、本、更にこれなし(われわれは行わない)。心の裏(うち)に奥義を納め、唯一、心の持様を大事とするなり。

経絡経穴など考えず、根本の五臓六腑を腹診と打鍼で治療します。
「教外別伝(きょうげべつでん)」、「不立文字(ふりゅうもじ)」とは禅仏教の言葉で、悟りの状態は文字で伝えることができないという意味です。夢分斎は多賀法印(たがほういん)に術を学んだと書かれています。

 

【意斎流・御園流】

朝廷に仕えた鍼博士である御園意斎から10代続いた流派です。打鍼が特徴的です。

 

【杉山流・杉山真伝流】

杉山和一が創始した杉山流と、杉山和一の後継者の二代目、三島安一と三代目、島浦和田一が完成し継承されてきた杉山真伝流があります。
2003年に東京、両国の杉山神社の金庫の中から失われた文献『杉山真伝流』が発見されました。これは杉山真伝流第61代家元の馬場美静氏の所蔵物で、杉山検校遺徳顕彰会に寄贈されたものです。

杉山和一総検校の直弟子、2代目総検校・三島安一と3代目総検校・島浦和田一によって創始されたのが杉山真伝流です。
失われた文献『杉山真伝流』は表之巻、中之巻、竜虎之巻、秘密巻、皆伝之巻で構成されていました。杉山真伝流継承者の吉田弘道先生から柳谷素霊先生が学び、現在の教科書に杉山流手技が掲載されました。

杉山真伝流の教育は以下のようになります。

【第1段階】
6年間あり、3年が按摩、3年が鍼の修行でした。14~15歳で入門し、17歳までの3年間は杉山流鍼学皆伝の免許で、いわゆる基礎編を学びました。按摩のみ、または鍼のみの免許の者もいたようです。教科書は杉山三部書(療治之大概集・選鍼三要集・医学節用集)を用いました。

【第2段階】
17~28歳前後までの修行段階。教科書は杉山真伝流の表の巻を中心に用いました。

【第3段階】
30歳前後の3年間。修了すると門人神文帳一冊が伝授され、他人に伝授できる段階と認められ、いわば教員免許状に当たります。教科書は杉山真伝流目録の巻物一巻(真伝流の表の巻・中の巻・奥龍虎の巻)を用いました。

【第4段階】

50歳前後。修めると杉山真伝流秘伝一巻が伝授されました。

ここで重要なのは、14歳から17歳までの初心者の3年間は、あん摩を徹底的に学んだことです。3年間のあん摩で手の感覚をつくったことが杉山真伝流の技術の基礎になっていると思われます。それにしても、江戸時代の日本では14歳から始まり、50歳までの35年間のスパンで教育をやっていたんですね…。

他にも饗庭東庵(あえば・とうあん)や後藤艮山(ごとうごんざん)の五極灸法、香川修庵(かがわ・しゅうあん)の灸法、石坂宗哲(いしざか・そうてつ)の石坂流の鍼がこの論文では紹介されています。
室町時代から江戸時代の日本鍼灸はものすごく面白いです。

 

 

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