「経流経穴の問題点 (2)」
濱添 圀弘『自律神経雑誌』Vol. 22 (1975) No. 2 P 46-49
この論文では、上腕二頭筋腱の尺側!!に『尺沢穴』を取穴しています。
これが「鹿児島鍼灸学校の尺沢」です。東洋療法学校協会の教科書では尺沢を上腕二頭筋の橈側にとります。
私は10年以上前、経絡治療大学に参加した際に、鹿児島鍼灸専門学校の学生さんに鹿児島の尺沢を教えてもらい、ビックリしました。
学生さん:
鹿児島鍼灸専門学校では、東洋療法学校協会の経穴の教科書とは別に『経穴学』の教科書があります。私:
国家試験はどうするんですか?学生さん:
東洋療法学校協会の教科書で国家試験用に一応勉強しておいて、本当の臨床で使う「尺沢」は上腕二頭筋腱の尺側だと教えられました。私:
Σ( ̄□ ̄ ||!!!
鹿児島鍼灸専門学校のホームページにもこのことは明記してあります。
以下、引用。
鹿児島鍼灸専門学校の歴史の象徴ともいえる、独自の『経穴学』の教科書。『古来、鹿児島には密貿易により、他では手に入らない鍼灸の古典が薩摩藩に入っていました。伊助は肥後盛昌先生からそれらのすべてを受け継ぎ、さらに伊助の弟子である松本四郎平がこれらをもとに著した『鍼灸孔穴類聚』が、本校の経穴学の元になっています』(久木田隼人学校長)。
この教科書は『鍼灸孔穴類聚』を原本として濱添圀弘氏が新たに書き改めたもの。同校では東洋療法学校協会の『経穴学』の教科書と併用で使われている。
鹿児島鍼灸専門学校は日本で一番古い歴史を持つ鍼灸学校です。
薩摩藩・島津家の御典医、肥後盛昌先生から、鹿児島鍼灸専門学校初代校長の久木田伊助(1874-1942)先生は古典文献を受け継ぎました。
久木田伊助先生は鹿児島に寺子屋式の鍼灸講習所を開き、1912年に鹿児島県知事に認可されました。1907年には大正天皇が鹿児島に行幸された際に久木田伊助先生は鍼灸治療を行い、金時計を下賜されています。久木田伊助先生の寺子屋時代の弟子が松本四郎平先生です。
松本四郎平先生は、1911年(明治44年)に『鍼灸経穴学』(誠之堂)を出版し、さらに1926年(大正15年)に『鍼灸孔穴類聚』を出版しました。当時の沢田健先生などに大きな影響を与えました。
『鍼灸孔穴類聚』は、2010年に復刻出版され、また国会図書館近代デジタルライブラリーで読むことができます。
『鍼灸孔穴類聚』の尺沢穴の取穴法は、上腕二頭筋腱の尺側です。
2004年8月、この鹿児島独自の経穴学について事件が起こりました。国立身体障害者リハビリテーションセンターの芦野純夫先生が、経絡経穴概論を教え始めて1年目に「現在の経穴学の骨度法がおかしいのは、鹿児島鍼灸の骨度法が間違っていたからである」という論考(※1、※2)を『医道の日本』に発表しました。
この論文は、鹿児島鍼灸専門学校を激怒させました。鹿児島鍼灸専門学校の3代目校長、久木田隼人氏が「鹿児島鍼灸専門学校から芦野純夫氏へ」という公開質問状(※3)を出し、濱添國弘先生が芦野純夫先生を猛批判する論文(※4)を発表しました。いまだに、芦野純夫先生は、この公開質問状に応えていません。
この論争は、実は経絡経穴学を実際に教えると気づく疑問点を実に浮き彫りにして有意義な論争でした。
濱添國弘先生は鹿児島鍼灸専門学校で松本四郎平先生の『鍼灸孔穴類聚』をベースにした経絡経穴学をずっと研究されており、この論争の論点となった前胸部の骨度法について1974年に最初の論文(※5)を書かれて、1977年には臍下の骨度法の論文(※6)と文献(※7)を出版されています。
つまり、論争の30年前から、この骨度法や経絡経穴の問題の専門家であり、経絡経穴概論を教えて1年目の芦野純夫先生とは全く経験が違いました。経絡経穴を学問として研究するなら、濱添先生の研究は物凄く参考になります。
薩摩藩の筆頭御殿医であった肥後盛昌と、その弟子だった久木田伊助先生の直弟子に、大阪の郡山七二先生がいらっしゃいます。
以下、引用。
わたしの祖師、薩摩藩御典医、肥後盛昌の家伝灸の一つに、腰痛の灸として僕参(BL61)がある。この灸を腰痛患者にやってみると、多少の治効はあるが、崇拝している肥後盛昌先生の家伝灸にしてはもう一つであった。
そこで先生の直弟子、久木田伊助先生にうかがってみたら、「そうだね・・・効果の無い場合が多いが、時には一発で治る」というお答えであった。
それで私はその後も僕参(BL61)を腰痛の患者に使っていた。あるとき、特発の腰痛で歩行困難の患者に往診して僕参(BL61)に灸を七壮やったら奇効を奏した。
この患者はぎっくり腰で、第5腰椎と仙骨の関節によく起こる腰部捻挫で、その部の棘突起を押すと激しい圧痛がある。ははあ、僕参(BL61)はこのような腰痛に効くらしいな…。わたしは大体見当がついたような気がして、その後も追試して自信を得たが、わたしの性分として効くのはわかっても、なぜ効くのか根拠がわからないと臨床しても面白みが少ないし、研究を進めることができない。二、三の解剖書を調べたが、どうも日本の解剖書では不十分なのでドイツ語の原書を調べてもらったりした。
その頃の私の解剖学的知識の程度は坐骨神経は仙骨神経前枝の集合であると思っていた。坐骨神経中に第5腰神経の繊維が侵入して、しかも、その繊維は僕參付近の皮膚に終わっていることもわかった。
さらにその後20年、第4腰神経の前枝中の一繊維も坐骨神経に侵入していることが発見され、第5腰神経は大鐘(KI4)に、第4腰神経繊維は僕参(BL61)に終わることも判明した。もし、この神経の関係が腰部捻挫の奏功に関係あれば、僕参(BL61)のみならず大鐘(KI4)も有効なはずだと臨床実験をやってみると僕参(BL61)に劣らぬ速効がある。
【痔の名灸 然谷(KI2)】
これも肥後盛昌先生の家伝灸の一つである。数名の痔疾患者にやってみた。痔核と脱肛にはまずまずという程度の効果はあったが速効とは言わないようだ。家伝名灸かならずしも速効ということにはならぬか。わたしはそう考えて、その後も痔疾患患者にはたいてい然谷(KI2)を使っていた。ところが或るとき、痔出血の患者にやったら一発で出血が止まった。しかし、この症例だけではと思って、その後も機会あるたびにやってみるとなかなかよく効くので、これは一体どういうことになるのだろうか。そこで調べてみると、然谷(KI2)と肛門部とは脊髄断区が同じで然谷(KI2)が痔出血によく効く理由は仙部自律神経との関連が想像される。
以上、引用終わり(※9)。
郡山七二先生は、薩摩藩の肥後盛昌先生から伝わる家伝の治療法として腰痛を僕参(BL61)で、痔を然谷(KI2)で治療されていますが、「結論から言って、現在のわたしは経絡を否定する」、「経絡を是認できなければ、もちろん、経穴も是認できない」と同じ論文の中で明言されています(※9)。
郡山七二先生は、1959年には経絡治療の本治法と標治法を臨床試験しており、経絡治療の本治法は必要ないという結論を出されています(※10)。
郡山七二先生は経絡経穴否定論なのです。1891年生まれで、1913年に22歳で鍼灸免許を取得し、それ以来ずっと鍼灸師として臨床一筋に生きてきたかたで、内臓刺や眼窩内刺鍼を開発しました。
1963年の『良導絡』に「臨床五十年」、1973年の『医道の日本』に「臨床六十年」という文章を発表されています。1973年の「臨床六十年」を書かれたときは82歳!の現役鍼灸師です。
同じ鹿児島の肥後盛昌先生、久木田伊助先生を源流としながら、いろんな流れがあることが興味深いです。
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※1:「取穴法の誤解を松元四郎平著『鍼灸経穴学』にさかのぼって考察する」
芦野純夫『医道の日本』 63(8): 185-189, 2004.
※2:「骨度法による取穴とその問題点(下)‐取穴法の誤解を松元四郎平著『鍼灸経穴学』にさかのぼって考察する」
芦野純夫『医道の日本』 63(9): 171-175, 2004.
※3:「鹿児島鍼灸専門学校から芦野純夫氏へ」
久木田隼人 鹿児島鍼灸専門学校 『医道の日本』 63(12): 191-193, 2004.
※4:「芦野純夫氏の『骨度法による取穴とその問題点』について」
浜添圀弘『医道の日本』 63(11): 191-193, 2004.
※5:「経流経穴の問題点」
濱添 圀弘『自律神経雑誌』Vol. 21 (1974) No. 4 P 81-85
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1948/…/21_4_81/_pdf
※6:「臍から恥骨上縁にいたる長さの文献的考察」
竹之内 三志, 竹之内 診佐夫, 浜添 圀弘, 妹尾 開正
『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 26 (1977) No. 2 P 57-61,80
https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/jjsam1955/…/26_2_57/_pdf
※7:『鍼灸医学―経絡経穴の近代的研究』 (1977年)
竹之内 診佐夫 、濱添國弘
※8:「帯脉穴より環跳穴までの文献的考察」
濱添 圀弘『自律神経雑誌』Vol. 27 (1980) No. 1 P 169-174
https://www.jstage.jst.go.jp/arti…/jjsam1948/…/27_1_169/_pdf
※9:「臨床五十年〔一〕」
郡山 七二『良導絡』Vol. 1963 (1963) No. 91 P 13-15
https://www.jstage.jst.go.jp/…/ryod…/1963/91/1963_91_13/_pdf
※10:「経絡経穴の臨床的観察」
郡山 七二『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 8 (1958-1959) No. 3 P 35-36
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/…/8_3_35/_pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/…/22/2/22_2…/_article/-char/ja/
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