福建中医大学が2016年2月4日に学術誌『細胞移植(セル・トランスプランテーション)』に発表した論文
「鍼による鎮痛:ミクログリア細胞阻害の役割」
Acupuncture-Induced Analgesia: The Role of Microglial Inhibition
Cell Transplantation,
Volume 25, Number 4, 2016, pp. 621-628(8) Epub 2016 Feb 4.
鍼鎮痛の研究で盛り上がってきている、鍼による「背髄でのミクログリア細胞阻害」についての2016年2月に発表されたレビュー論文です。
これはまったく新しい鍼鎮痛の機序であり、背髄神経でのマクロファージ由来のミクログリア細胞が活性化することで神経障害性疼痛が悪化することが判明し、逆に、鍼はミクログリア細胞の活性化を阻害することで神経障害性疼痛を減少させるという機序が2010年代に判明してきました。
以下、引用。
最近の臨床研究では、電気鍼は悪性腫瘍の神経障害性疼痛や糖尿病性ニューロパシー、あるいは幻肢痛などの神経障害性疼痛に効果があることを示している。
神経システム、特に体性感覚神経刺激は鍼の鎮痛作用を媒介する。
中国伝統医学のプラクティショナーの臨床観察ではヒリヒリするような、充満したような、張ったような、重いような、鍼に引っ張られるような感覚である得気感覚を患者は鍼で体験する。
注目すべきことに、背髄神経後角では鍼刺激による視床ニューロンの侵害反応による阻害はおきないが、反対に背髄後角における痛みと鍼のツボが起こす2つのインパルスは収束する。
神経障害後の疼痛閾値は末梢神経システム(PNS)の侵害ニューロンの感作の発現によって減少する。
最終的には、神経細胞および非神経細胞からリリースされる細胞内エネルギー源のATPについて特別な配慮が払われるべきである。
そして、ATPは神経障害性疼痛においての神経根ニューロンにおける感覚情報をコミュニケーションする重要なニューロトランスミッター神経伝達物質である。
ATPはカチオン透過性イオンチャネル(P2X受容体)と細胞表面のGプロテイン結合受容体を活性化し、特にP2X3サブタイプ受容体を活性化する。
鍼、または電気鍼は生体内において異なるタイプの求心性神経線維を刺激して、ATPは神経障害性疼痛の痛みシグナルをトランスミッションする鍵の役割を果たすのかも知れない。
【中脳水道周囲灰白質(PAG)におけるP2X受容体と鍼鎮痛】
中脳水道周囲灰白質(PAG)は非侵害刺激や他のストレスフルな刺激に対する反応と体性感覚と自律神経反応を統合して調節するシステムの重大な場所である。
神経障害性疼痛が起こった時、P2X3受容体発現は、中脳水道周囲灰白質を上向性に調節することで疼痛閾値は減少する(P2X3受容体が発現すると神経障害性疼痛は悪化する)。
電気鍼治療は実験的に神経障害性疼痛を起こしたラットの中脳水道周囲灰白質におけるP2X3受容体の免疫反応によって疼痛閾値を増加させる(電気鍼治療はPAGにおけるP2X3受容体を介して神経障害性疼痛を減少させる)。
逆に、アンチセンス・オリゴデオキシヌクレオチド法により中脳水道周囲灰白質におけるP2X3受容体の発現の下降性調節は電気鍼の抗侵害効果を明確に減少させた。
これらの発見は電気鍼による痛みの調整において中脳水道周囲灰白質が脳の中心構造であることを示している。
【背髄の後根神経節におけるP2X3受容体と鍼鎮痛】
電気鍼治療は慢性神経絞扼障害(CCI)における機械侵害閾値増加や温熱侵害閾値増加させることができ、それは背髄神経後根におけるP2X3受容体の発現の減少によるものである。電気鍼治療はATPとATP誘発電流を減少させることができる。
それによれば、電気鍼による鍼鎮痛効果はP2X3受容体発現の減少によるものであり、神経絞扼障害ラットの脊髄後根における神経活動を阻害する。
ラットの同側の足の電気鍼も反対側の足の電気鍼も同じ程度の鎮痛効果がある。
【鍼鎮痛におけるP38MARK(P38分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ)のシグナリング・パスウェイ】
P38分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼシグナル形質導入経路は典型的には細胞内ストレスと前炎症サイトカインと炎症反応における重要な役割を果たしている。
全体的にも髄腔内でもP38MARK阻害の管理は炎症と関節痛を効果的に軽減する際に見られる。
電気鍼による鎮痛と抗炎症作用は背髄内のP38MARK活性化の阻害によっておこる。
加えて、電気鍼で前処理された内臓痛ラットにおける予防効果は局所と脊髄内のP38MARK活性化による抑制によるものだった。
背髄神経グリア細胞(ミクログリア細胞とアストロサイト)が神経障害性疼痛と炎症反応の悪化に関与しているという証拠は増大している。
付け加えるに、最近の研究は背髄グリア細胞が鍼鎮痛の発現と関係しており、鍼はミクログリア細胞の活性化を阻害することがわかってきた。
中枢神経システム(CNS)の初期的な免疫細胞としてミクログリア細胞は急速に増殖し、ポジティブ・フィードバック・ループとして活性化することで前炎症物質を分泌し、神経毒性メディエーターを分泌する。結果として反応性酸化ストレスレベルを増大させる。
その上、電気鍼はいまだにわかっていない神経保護的メカニズムを通じてミクログリア細胞活性化を防ぎ、海馬のCA1領域における酸化ダメージを軽減する(記憶を主る海馬の保護作用がある)。
慢性疼痛の神経障害性疼痛に使うリリカや強オピオイド薬が認知症の症状を悪化させる可能性があるのに対して、鍼は神経保護作用や神経再生作用まであると最新の研究で言われています。
【鍼鎮痛の理論の歴史のまとめ】
1971年の鍼麻酔ブーム以来、鍼鎮痛が研究されてきました。
【鍼鎮痛のローカル・エフェクト(局所効果)】
また、鍼の局所効果については、スウェーデンのトーマス・ルンドベルク、マリア・ブロムらがシェーグレン症候群の鍼治療の研究を通じて血管拡張性腸管ポリペプチドであるカルシトニン遺伝子関連ペプチド、サブスタンスPによる血管拡張メカニズムが最初に解明されました。
さらに、スウェーデンのサンドベルクが鍼の得気を起こすと局所血液循環が増大する現象を報告しました。
皮膚や皮下組織や筋膜、筋肉内などの存在するTRPV1受容体が組織の歪みや牽引などの物理刺激などで刺激されると、軸索反射によって自由神経終末からカルシトニン遺伝子関連ペプチド、サブスタンスPが放出され、血管は拡張し、フレア現象が起こり、鍼を刺したり灸をした場所は紅くなります。
さらに、この鍼による軸索反射の一時的血管拡張は一酸化窒素メカニズムによって持続されます。
このような鍼の刺鍼による局所循環の改善は発痛物質を洗い流し、局所の軟部組織の治癒を引き起こします。
【鍼鎮痛のセグメンタル・エフェクト(背髄分節効果)】
鍼の鎮痛の背髄分節レベルでの鎮痛はロベルト・メルザックのゲート・コントロール理論(※1)です。臨床的にはゲート・コントロール理論を応用した経皮性電気刺激(TENS)がコクランレビューでいくつもレビューされ、少なくとも月経痛に関してのTENSはEBMで有効性を確認されています(※2)。
Pubmedで「ゲート・コントロール・セオリー」を検索キーワードとしてうちこむと、ゲートコントロール理論を応用した大量の痛みに関する論文が発見できます。
その中には2014年に一流医学雑誌『セル』から分かれた『ニューロン』という雑誌にカリフォルニア大学の研究者が発表した論文「痛みと痒みのメッセージ:現代の脊髄神経におけるゲートコントロールの視点」(※3)や2011年の『韓国麻酔医学誌』に発表された 「ゲートコントロール理論を利用したプロポフォール挿入による痛みの減少」(※4)という論文のタイトルに使われているように、世界中の痛みの分野でゲートコントロール理論は応用されています。
『イギリス麻酔科雑誌』にも2002年に「ゲートコントロール理論は時の試練に耐えている(Gate Control Theory of pain stands the test of time)」(※5)という論文が書かれています。この論文は非常に簡潔にゲートコントロール理論の欠点と利点も含めて書かれて理解されやすいです。
鍼の鎮痛の背髄分節レベルでの鎮痛を研究するには、デルマトーム(皮膚分節)、ミオトーム(Myotome:筋分節)」、「スクレロトーム(Sclerotome:骨分節)」、「ヴィッセロトーム(Viscerotome:内臓分節)」などの知識が必要になります。
【鍼鎮痛のCNSエフェクト(中枢神経システム効果)と中枢性感作】
1970年代から1980年代にかけて、鍼麻酔の研究を通してエンドルフィンの分泌や中脳水道周囲灰白質からの下降性痛覚抑制系が解明されました。
さらに2000年代にハーバード大学のヴィタリー・ナパドウとキャスリーン・フイ博士らが得気した鍼の状態をfMRIで観察し、前帯状皮質や島皮質、前頭皮質など疼痛の弁別・認知・情動と深い関係を持っているペイン・マトリックス、デフォルト・モード・ネットワークを変化させ、痛みの認知・情動を変化させる可能性を示唆しました。
【鍼鎮痛とグリア細胞活性化の抑制】
現在、痛みの中枢性感作というコトバがキーワードになっています。感作とは過敏化・鋭敏化するという単語です。中枢とは脳など中枢神経系のことです。1983年にクリフォード・ウォーフという科学者が『ネーチャー』において痛みの過敏化・中枢化について初めて論じました。
慢性痛の患者は、末梢レベルと中枢(脳)のレベルで痛みが中枢性感作という脳での過敏化を起こしています。そして、ある人には痛みの中枢性感作が起こり、ある人には起こらないという個人差がここでも問題になっています。
中枢性感作症候群と呼ばれる疾患を列挙してみると、以下になります。
過敏性腸症候群(IBS)などの内臓過敏症候群
線維筋痛症
手術後疼痛
顎関節症
筋骨格系疾患
頭痛
変形性関節症
神経障害性疼痛
これらは鍼灸師が臨床で扱っている一番得意な疾患ばかりです。
特に、2010年代になって問題になってきているのが慢性疼痛や神経障害性疼痛です。
痛みには侵害受容性疼痛、心因性疼痛、神経障害性疼痛があります。現在、大きな話題になっているのが神経障害性疼痛であり、 従来は神経細胞(=ニューロン)ばかり研究されていまして、その周囲のグリア細胞(=神経膠細胞)は注目されていませんでした。
ところが、P2X4R受容体を研究するうちに神経障害性疼痛、慢性疼痛ではグリア細胞こそが主役であり、特にマクロファージ起源のミクログリア細胞が産生する因子が主役となることが判明しました。これはニューロンからだけ見ていたらわからなかった事実であり、疼痛理解のパラダイム・シフトになります。
神経損傷が起こると脊髄内のミクログリア細胞が活性化し、ミクログリア細胞内のP2X4R受容体が活性化するとミクログリア細胞はBDNF(脳由来神経成長因子)放出し、脊髄第1層ニューロンを異常興奮させ、神経障害性疼痛となります。この痛みの慢性化メカニズムにはコネキシン43やシクロオキシゲナーゼ2も関連しています。
2000年代から慢性疼痛に対してアメリカやカナダで強オピオイド鎮痛剤が処方されていましたが、アメリカの歴史に残るようなドラッグ・クライシスとなり、アメリカ人の平均寿命・平均余命を下げるような歴史的大事件となりました。
2014年からアメリカ退役軍人省は鍼、ヨガ、カイロプラクティック、エクササイズによる代替補完医療をオピオイド鎮痛剤の代わりに慢性疼痛に処方しはじめます。
2016年にはアメリカ退役軍人省とオレゴン州だけでなく、アメリカ政府の政策となりました。
2016年4月19日には『アメリカ科学アカデミー紀要(PNAS)』に「オピオイド鎮痛剤の投与はミクログリア細胞が活性化することによって神経障害性疼痛を悪化させる」という論文が掲載されました。
2016年4月のコロラド大学の原著論文
Morphine paradoxically prolongs neuropathic pain in rats by amplifying spinal NLRP3 inflammasome activation
Peter M. Grace
Proceedings of the National Academy of Sciences
vol. 113 no. 24 , E3441–E3450
April 19, 2016
鍼はインターフェロンを介してミクログリア細胞の活性化を抑制し、神経障害性疼痛を緩和させます。それに対して薬物療法のオピオイド鎮痛剤はミクログリア細胞を活性化し神経障害性疼痛を悪化させるというのが明らかになってきました。
これが2016年の鍼灸研究の最大の果実であり、鍼灸の科学的研究の最前線です。
この鍼鎮痛研究の進展については、アメリカにおける強オピオイド鎮痛剤の蔓延という社会的問題を調べる事なしに理解することは難しかったです。
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※1:最初のゲートコントロール理論論文
「痛みのメカニズム:新理論」
Pain mechanisms: a new theory.
Melzack R, Wall PD.
Science. 1965 Nov 19;150(3699):971-9.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/5320816
※2:「原発性月経痛へのTENSと鍼」
Transcutaneous electrical nerve stimulation and acupuncture for primary dysmenorrhoea.
Proctor ML1, Smith CA, Farquhar CM, Stones RW.
Cochrane Database Syst Rev. 2002;(1):CD002123.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11869624
※3:「痛みと痒みのメッセージ:現代の脊髄神経におけるゲートコントロールの視点」
Transmitting Pain and Itch Messages: A Contemporary View of the Spinal Cord Circuits that Generate Gate Control
João Braz, et al.Neuron Volume 82, Issue 3, p522–536, 7 May 2014
http://www.cell.com/neuron/abstract/S0896-6273(14)00023-3
※4: 「ゲートコントロール理論を利用したプロポフォール挿入による痛みの減少」
Reduction of propofol injection pain by utilizing the gate control theory.
Kim SY, Jeong DW, Jung MW, Kim JM.
Korean J Anesthesiol. 2011 Oct;61(4):288-91.
※5:「ゲートコントロール理論は時の試練に耐えている」
Gate Control Theory of pain stands the test of time
Dickenson AH.
Br J Anaesth. 2002 Jun;88(6):755-7.
http://bja.oxfordjournals.org/content/88/6/755.long
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