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【BOOK】『禅と戦争』

 
ブライアン・アンドレー・ヴィクトリア著
えにし書房; 新装版 (2015/12/8)
 

 
 
衝撃的です。
 
著者のブライアン・アンドレ・ヴィクトリア博士は、1971年に駒沢大学で仏教学の修士を取得し、1996年にテンプル大学で宗教学の博士を取得したオックスフォード大学仏教研究センターの研究員です。
 
もともとヴィクトリア博士は1961年に大学を卒業し、キリスト教の牧師としてヴェトナム反戦運動に関わっているうちに日本の禅宗の鈴木大拙に感動し、キリスト教を捨てて、日本の禅宗・曹洞宗の永平寺で修行し、禅僧となりました。
 
永平寺で修行した禅僧で、駒沢大学で仏教学を修めたヴィクトリア博士が、戦時中の禅僧たちが、いかに全力で政府に協力し、戦争を煽ったかを証拠に基づいて論じています。
 
わたしが、この本を知ったのはYouTube動画で現代ヨーロッパを代表する哲学者スラヴォイ・ジジェクが、「(『禅と戦争』は)わたしのバイブル」と呼び、日本の禅僧による戦争への全面協力を語っていたインタビューがきっかけです(『鈴木大拙の戦争協力について語るジジェク』)。
 
スラヴォイ・シジェクは非常に正確な禅の理解をしています。禅の教義が殺人を肯定していることを鋭く指摘していました。
 
ヴェトナム反戦運動のヒッピーたちに熱狂的に支持された日本の禅の紹介者、鈴木大拙が、戦前はファシズムと戦争を熱狂的に支持していたことが衝撃的でした。
 
フランスに禅を普及した弟子丸大仙禅師の師匠であり、戦後は世界平和運動をおこした沢木興道も熱狂的なファシズムと戦争の支持者でした。
 
わたしが個人的に尊敬している禅のプラクティショナー、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の禅の師匠で鍼をメキシコに広めた高田慧穣の師にあたる山田無文禅師も戦前は戦争を煽っていたことにもショックを受けました。
 
戦前の禅師たちの発言と、戦後の「てのひら返し」は衝撃的です。卑劣としか言いようがないです。
 
禅僧ブライアン・アンドレー・ヴィクトリアはさらに思索を深めていきます。
武道における「剣禅一如」「禅と武士道」「殺人剣と活人剣」などのレトリックへの痛烈な批判です。
 
明治維新以前も、柳生宗矩・沢庵の『剣禅一如』に代表されるように、禅は権力と密着し、殺人と暴力を肯定していました。
 
「剣禅一如」は明治維新以降は「軍人禅」となり、暴力と殺人、戦争を肯定するようになります。
 
戦後は「企業禅」として、個人を滅する方向で洗脳することに禅僧が協力したことをブライアン・アンドレー ヴィクトリアは指摘します。
 
もはや私は沢庵や柳生宗矩の「剣禅一如」と聞いたら、反射的にオウム真理教のタントラ・ヴァジラヤーナを思い出してしまいます。
 
オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を読んで以来の禅へのリスペクトは、自分の中で完全に消え去りました。
 

 
 
歴史のファクトをみていくと、禅の宗教プロパガンダに自分が完全にだまされていたことに、ようやく気づきました。
 
鎌倉時代の日本伝統医学を代表する禅宗の栄西は『喫茶養生記』で東洋医学分野では知られています。
 
栄西の代表的著作は1198年の『興禅護国論』であり、1200年には鎌倉幕府将軍・源頼朝の1周忌の導師を栄西は務めています。
 
室町時代の禅宗は五山制度の中で、官寺として権力と癒着して文化をリードしました。
室町時代に最盛期を迎えた仏教・禅宗は江戸時代の檀家制度(寺請制度)によって「葬式仏教」となり、「本来の仏教ではない」と批判されるようになります。これは、江戸時代の徳川家康の片腕「黒衣の宰相」とよばれた南禅寺の禅僧・金地院崇伝による政策です。
 
つまり、日本における禅宗はずっと権力に近いところにあり、権力のために教義を曲げ続けました。
 
禅宗においては、師匠が弟子に「悟り」を認めるという「印可」があり、禅僧たちはその系譜を誇ってきました。しかし、それは腐敗も弟子に継承されてきた系統図「燈史」なのだと思います。
 
少なくとも、インドの仏教の開祖、ゴータマ・シッダールタは、殺人肯定・戦争肯定・権力全肯定の禅僧たちを自分の弟子とは認めないと思います。
 
『禅と戦争』には記述されていませんが、中国・河南省で禅宗の開祖、達磨が開いた嵩山少林寺も常に僧兵による暴力と権力の歴史がありました。
 
元朝の皇帝フビライ・ハンは、チベット仏教のパスパと少林寺の雪庭福裕に中国仏教の支配権を与えました。
 
少林寺の僧兵たちは、農民反乱の弾圧に使われました。常に権力の側にたって、貧しい人間を暴力で制圧してきたわけです。
 
現在のカンフーの寺、嵩山少林寺のトップ、釈永信の中国共産党との癒着と腐敗は世界的に有名です。
 
これらの歴史的ファクトを分析していくと、禅の教え自体に根本的な欠陥が存在する疑いをどうしてもぬぐえないのです。
 
哲学者スラヴォイ・ジジェクが、「(『禅と戦争』は)わたしのバイブル」といった意味が納得できました。
これは、ヴェトナム反戦運動と鈴木大拙をきっかけにキリスト教を捨て、禅僧・禅仏教の研究者となったブライアン・アンドレー・ヴィクトリアが否定したい過去を直視し、自分の過去と対峙し、心から血を流しながら日本禅仏教の「偽りの悟り」「暴力の肯定」を痛烈に批判した本なのです。感動しました。
 
 
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