インドの鍼の歴史とドクター・ドワルカナト・コトニス

 
2023年3月4日 シンガポールの新聞『ストレイツ・タイムズ』
「中国政府はインド・マハーラシュトラ州にインド人医師の記念病院を建設する」
 
 
以下、引用。
 
1938年、日中戦争の際に中国はインドに物資と医療援助を依頼した。
中国への医療援助の医師の1人として、28歳でマハーラシュトラ州のコトニス医師がいた。
コトニス医師は中国で4年働き、前線で傷ついた兵士たちを治療し、900の外科手術をおこなった。
 
 
コトニス先生は中国人看護師と結婚し、息子にインドの「印」と中華の「華」から印華と名付け、インド中国の友好を願いますが、次の年に32歳で亡くなりました。
 
当時、カナダ人外科医のノーマン・ベチューンがいました。べチューンは自身も結核で苦しみ「結核は貧困の病であり、貧困を無くす以外に結核に勝つ方法はない」と考え、貧富の差の無い医療を求め、スペイン内戦で人民の側に立って医療活動を行い、1938年には日中戦争で苦しむ中国の人々のために医療活動を行い、そこで亡くなりました。
 
中国はべチューンを英雄としてべチューン記念病院を設立し、その院長となったのがインドのコトニス医師です。べチューン医師とコトニス医師はいまだに尊敬され、その記念碑には献花がたえません。
 
 
以下、引用。
 
コトニス医師は中国では英雄とみなされているが、インドではほとんど知られていない。
コトニス医師は、中国人看護師のグオ・チンランと結婚した。グオは2012年に亡くなった。コトニスとグオには中国とインドの漢字の印華という息子がいた。
コトニス医師と同行した4人の医師の1人にコルカタのベジャル・クマール・バス医師がいて、彼は中国で鍼を学び、インドで鍼を普及した。
バス医師の弟子にデバシス・バクシ医師がいて、今日も遺産を受け継ぎ、ヨガとナチュロパシーと鍼を混ぜたホリスティック医療をおこなっている。
 
 
 
ベジャル・クマール・バス医師は、1943年にインドに帰国すると故コトニス医師を記念したコトニス記念委員会を立ち上げます。
 
そして、貧しい人たちの救援活動を続け、1958年に中国を訪問します。ベジャル・クマール・バス医師は副鼻腔炎に苦しんでいたのですが、中国で鍼灸治療により副鼻腔炎が劇的に改善したことから鍼灸を学び始めました。
 
1959年からバス医師は中国で本格的に鍼灸を学びます。インドに帰国すると、ウエスト・ベンガル州のスラム街でコトニス記念委員会を通じて貧しい人たちを鍼灸で治療し続けました。
 
1973年にはふたたび中国で鍼麻酔の技術を学びます。
 
1977年にウエスト・ベンガル州でインド鍼協会が創立され、ベジャル・クマール・バス先生が初代会長となります。
 
1987年に、このインド鍼協会の努力で、ウエスト・ベンガル地方政府はカルカッタで鍼クリニックをつくりました。
 
1996年にウエスト・ベンガル地方政府は、ウエスト・ベンガル鍼システム法案により、3年半の鍼治療コースの学位をもった認証鍼師と200時間のドクターコースを受けた認証医師に鍼をすることを認めました。
 
2009年に鍼の国家連絡委員会が出来て、政府と交渉しはじめました。
 
2015年にインドのウエスト・ベンガル州とマハーラシュトラ州で鍼が法的に認められました。
 
2018年8月にパンジャブ地方の首都ニューデリーの国立インディラ・ガンディー・オープン大学が鍼の教育をはじめました。インディラ・ガンディー・ナショナル・オープン大学で医師向けの鍼治療の卒後ディプロマ・コースの教授をされているのが、ラーマン・カプール先生です。
 
2019年2月にインド連邦政府が鍼を独立した医学システムとして承認しました。

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