「心下痞鞕と背部兪穴との関連—心下痞鞕の発現機序に関する病態生理学的考察—」
寺澤 捷年『日本東洋医学雑誌』Vol. 67 (2016) No. 1 p. 1-12
日本漢方の腹診の「心下痞鞕(しんかひこう)」が第8胸椎〜第9胸椎(膵兪)や第10〜第11胸椎(胆兪)の鍼で消失したのをきっかけに、28症例の心下痞の背中の脊柱起立筋群に鍼をしたところ心下痞が消失したという研究です。痃癖群、心下痞鞕群、心下支結群の3群に分類されています。
※心下痞鞕(しんかひこう):自覚的他覚的に胃部が停滞膨満し、この部に一種の抵抗を触知するもの。
※心下支結(しんかひけつ):柴胡桂枝湯の腹証。腹直筋が腹表に浅く現れて、心下を支えているように見える場合。
隔兪に反応が出ている人が多過ぎです。
面白いのは、横隔膜の胃あたりの気血や痰の滞りである痃癖が江戸時代から肩癖となり、江戸時代には一般庶民も痃癖、肩癖という病名を肩こりの意味で普通に使っていたことです。
江戸時代、本郷正豊『鍼灸重宝記』
痃癖(肩こり):肩が痛むのは、あるいは痰、あるいは風寒湿が原因というけれども、多くは気血が停滞したためである。この肩こりに刺すのに秘伝があり、まず手で肩を押し、撫で、気を開いてから、その後に刺す。
痃癖(肩こり):肩の痛むこと、或は痰により、或は風寒湿によるといへども、多くは気血つかへたるゆへなり。このところに刺すこと秘伝あり。まず、手にて肩を押ひねり、撫なでくだし、気を開かせて、後に刺すべし。
江戸時代の肩こりの鍼灸弁証論治は正確です。肩こりの原因は痰湿や外邪の風寒湿による痺証といわれますが、実際には、経絡の気滞・血滞・水滞であり、肩を押し撫でながら刺して経絡を通じさせます。
漢方家や歴史家にとっては、「本来、腹部のみぞおちあたりから臍までの痰や気滞であった痃癖が何故、日本の江戸時代には肩こりを意味するようになり、さらに頸肩・肩甲間部あたりがけんびきといわれるようになったのか?」は謎のようです。
しかし、鍼灸師には簡単に理解できます。みぞおちや横隔膜あたりに心下痞鞕という詰まりがある患者の背中の膏肓や心兪、膈兪、膵兪、肝兪、胆兪に鍼を刺して筋緊張がとれると、ミゾオチの心下痞鞕がとれるという現象は毎日のように経験するからです。
現在、プロフェッショナルの漢方研究者は折衷派の医師、細野史郎先生の延年半夏湯の研究によって、延年半夏湯が痃癖といわれる肩こり・腰背痛を伴い、食欲がなく、腹部の左肋部のひきつれがある状態に効くことを知っています。コタロー漢方のパッケージにも書いてあります。
「延年半夏湯について」
細野 史郎『日本東洋醫學會誌』Vol. 9 (1958) No. 4 P 127-142
この論文は素晴らしいです。
細野先生は左側の肋部のひきつれ、左膈兪から左胃兪の圧痛、左肩こりを延年半夏湯の証としています。
後世派の一貫堂医学の森道伯先生の系譜につらなる矢数道明先生も延年半夏湯の症例を発表しており、「鳩尾より中カン穴の圧痛が著明、心兪・膈兪の部が凝って圧痛があり、肩こりも左側が強い」など非常に精密な触診をされています。
「延年半夏湯の臨床的研究」
矢数 道明『日本東洋醫學會誌』Vol. 13 (1962) No. 2 P 59-64
日本伝統漢方の痃癖や肩こりの研究には学ぶべきものがあります。
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