『聾唖病の治療』中国人民解放軍3016部隊医院編 三景 1976
1954年頃から日本東洋医学会誌で最初の報告がありました。
「針灸療法の聾唖症治療に関する経験交流座談会総結」
李 境新『日本東洋醫學會誌』Vol. 5 (1954) No. 4 P 54-57
https://www.jstage.jst.go.jp/art…/kampomed1950/…/5_4_54/_pdf
1958年に中国の毛沢東が大躍進政策を初め、1959年に中国が「聾唖の3分の1は鍼で治る」と宣伝をはじめました。1963年頃から日本の鍼灸師と耳鼻科医が追試をはじめます。
1967年には鍼灸師の木下晴都先生が報告されています。
「難聴の鍼治療」
木下 晴都『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 16 (1967) No. 1 P 9-13
https://www.jstage.jst.go.jp/…/jj…/16/1/16_1_9/_pdf/-char/ja
1968年には耳鼻科医の菊池先生が耳鼻科の専門雑誌で追試の結果を報告しています。
「難聴に対する中共式針刺激療法の追試と考察」
菊池 三通男『耳鼻咽喉科臨床』Vol. 61 (1968) No. 11 P 1753-1768
https://www.jstage.jst.go.jp/…/jibiri…/61/11/61_11_1753/_pdf
1971年7月にニューヨークタイムズのジェームズ・レストン記者が鍼麻酔を報道し、世界的鍼麻酔ブームが始まります。
1972年2月にはニクソン大統領による中華人民共和国の電撃的訪問があり、1972年9月に田中角栄首相による日中友好関係正常化もあり、鍼麻酔ブームが起こったのもこの頃です。
1972年はニクソン訪中の年であり、近藤良男先生が『毛沢東思想のハリ 』で聾唖のハリ治療を宣伝しました。著者の近藤良男先生は1966年に明治針灸を卒業した鍼灸師で、1983-2009年まで全国医薬品小売商業組合連合会の会長を26年間務めて、2001年に勲四等の勲章までもらった薬販売業の重鎮だそうです。鍼灸師や医師が中華人民共和国を視察し、聾唖、つまり難聴の患者さんが言葉を聞き、話せるようになったと報告しました。
『毛沢東思想のハリ 』
近藤 良男 青年出版社 (1972)
1974年には昭和大学医学部が追試結果を発表しました。
「針刺療法における難聴治療の実際」
木村 通彦, 岡本 途也, 調所 廣之, 久住 武
AUDIOLOGY JAPAN Vol. 17 (1974) No. 5 P 477-478
https://www.jstage.jst.go.jp/…/audiology…/17/5/17_5_477/_pdf
1974年に東京都鍼灸師会が追試結果を発表しました。
「中国針による難聴児の治療」
竹之内 三志, 植田 潤一, 倉沢 秀光: 東京都鍼灸師会難聴治療大塚チーム
『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 23 (1974) No. 3 P 19-21
https://www.jstage.jst.go.jp/…/j…/23/3/23_3_19/_pdf/-char/ja
1975年には大阪市立小児保健センター耳鼻咽喉科が追試を発表しました。
「難聴に対する針治療と文献的考察」
横山 俊彦 大阪市立小児保健センター耳鼻咽喉科
『耳鼻咽喉科臨床』Vol. 68 (1975) No. 11 P 1295-1304
https://www.jstage.jst.go.jp/…/…/11/68_11_1295/_pdf/-char/ja
同じく1975年には大阪上二病院が「針による難聴治療7年間のまとめ」を学会発表しています。
「針による難聴治療7年間のまとめ」
植田 彪, 佐藤 順治, 森村 喜久子: 大阪上二病院
『AUDIOLOGY JAPAN』Vol. 18 (1975) No. 6 P 447-448
https://www.jstage.jst.go.jp/…/…/18/6/18_6_447/_pdf/-char/ja
1976年に中国人民解放軍の軍医グループが出した文献が翻訳されました。
1977年には京都府立医科大学耳鼻咽喉科学教室が追試結果を出しました。京都府立医科大学は改善は心因的なものとしています。
「難聴児に対するハリ治療」
大山 孜郎, 井端 幸子, 安野 友博 京都府立医科大学耳鼻咽喉科学教室
『耳鼻咽喉科臨床』Vol. 70 (1977) No. 6 P 495-500
https://www.jstage.jst.go.jp/…/jibirin19…/70/6/70_6_495/_pdf
同じく昭和大学医学部が追試結果を発表しました。昭和大学医学部は感音難聴は103名中7名、混合難聴25名中2名が聴力の改善を認めたとしています。
「難聴者に対るすハリ治療」
久住 武, 岡本 途也
『日本東洋醫學會誌』Vol. 28 (1977) No. 3 P 117-121
https://www.jstage.jst.go.jp/…/kampomed1…/28/3/28_3_117/_pdf
当時の中国の鍼治療法ですが、弁証論治ではなく、どちらかというと西洋医学的な神経学説です。鍼麻酔も1958年に中国で最初に行われました。1958年から1970年代の中国の鍼は西洋医学的な神経学説に基づく鍼が中心であり、中西医結合医学が最も宣伝された時期でした。
そして、日本ではこれらの追試が大量に行われました。こういった流れの中で中国鍼灸や中国漢方の良いところは太い鍼や電気鍼などのハード面ではなく、弁証論治などのソフト面であるという認識が徐々に形成されていきます。 1977年にその流れの中で浅川要先生が上海中医学院の『針灸学』を翻訳出版されました。
上海中医学院 『針灸学 (1977年)』 刊々堂出版
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