肩こりの歴史的起源
The Historical Origins of Katakori
栗山 茂久
KURIYAMA Shigehisa
Nichibunken Japan review : bulletin of the International Research Center for Japanese Studies 9, 127-149, 1997-01-01
栗山茂久先生の肩こりの歴史に関する最も総合的な論文です。
この論文では、蘆川桂洲の1688年『病名彙解』の痃癖がくびと肩のコリで打肩と呼ばれることから議論がスタートします。
1630年の日本ポルトガル語辞典では、Quebeqi(けんべき)、Feqi(癖へき)が「肩の悩み」の意味で使われています。
1639年の文献では、中国語の「痃癖」は腹部の病気であり、肩こりとするのは誤解であると学術的に論じています。
痃癖は中国伝統医学の病名です。
隋代の『諸病源候論』に「癖」病を論じた「癖病诸候」があります。
癖とは気血が偏る病です。「あの人は癖がある」というのは偏っているという意味です。
気血の流れが偏って滞るのが癖です。
三焦が痞(つか)えて、胃腸の水がめぐらなくなり、水漿が過多となり、停滞して散じないと、さらに寒気に遭って、積聚(しゃくじゅ)を形成して癖となる。
隋代、『諸病源候論』
さらに『諸病源候論』は癖の一種である「懸癖(けんぺき)」という病名をあげています。
脇が引きつって痛みます。
懸癖とは癖気が胸脇の間にあり、引きつって起きて、咳したら脇にひいて引っかかったように痛むので懸癖という。
隋代、『諸病源候論』
この懸癖は唐代の王焘(おうとう)著、『外台秘要方』で「痃癖」という病名になり、「延年半夏湯(えんねんはんげとう)」が処方されました。
さらに、痃癖は宋代の『太平聖恵方』で詳しく論じられました。
冷えによって気が停滞し、みぞおちやヘソの横がひきつる病です。
痃癖は邪冷の気が積聚して生まれる。
痃癖は腹中の臍の左右に1本のスジが急にひきつれて痛む。大きなのは腕のようであり、小さいのは指のようであり、気によって起こり、弦のようにはり、痃気とも言う。
癖は両脇の肋間にあり、かたよっているので癖という。
痃と癖は名前は異なっていても鍼や薬石や湯液丸薬では区別しない。
これはみな陰陽不和であり、経絡が通じず、飲食が停滞し、宣通・疏通せずに邪冷の気がかたまって散じずに起こるので痃癖という。宋代『太平聖恵方』卷四十九
痃癖に対して、日本では『外台秘要方』の痃癖の漢方処方である延年半夏湯を使います。
面白いのは、横隔膜の胃あたりの気血や痰の滞りである痃癖が江戸時代から肩癖となり、江戸時代には一般庶民も痃癖、肩癖という病名を「肩こり」の意味で普通に使っていたことです。
後藤艮山(ごとうごんざん)の登場がターニングポイントになります。
後藤艮山は「百病は一気の留滞より生じる」と論じました。
また、香川修庵(かがわしゅうあん)は『一本堂行余医言(1805年)』で「癥(ちょう)」について述べています。
大久保道古(おおくぼ・どうこ)の『古今導引集』でも、痃癖の病因論が語られています。
寺島良安(てらしまりょうあん)の『和漢三才図会』でも「按摩痃癖(けんぺき)」が語られています。
江戸時代には林正且の『導引体要(1684)』、竹中通庵の『古今養性録(1692)』、大久保道古の『古今導引集(1709)』、宮脇仲策(みやわき・ちゅうさく)の『導引口訣集(1713)』、太田晋斉の『按腹図解(1827)』などの按摩ルネサンスがありました。
後藤艮山や香川修庵は経絡に沿った腹診と背候診を行いました。
ここから腹部の気の停滞、水の停滞である痃癖は肩癖となりました。
少し遅れて西洋世界でも1904年に「筋肉リウマチ」の概念からウィリアム・ガワース卿が「結合織炎」を提唱しました。これは1890年代に欧米世界でマッサージが隆盛になったことと関係しています。
「肩こり」の分析には中医学古典、日本伝統鍼灸、日本の按摩の歴史など総合的な知識が必要でした。
以上は9月に関西中医鍼灸研究会で講義する「肩こりと痃癖の分析」のためのメモです。
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