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臓腑弁証の脾不統血証の歴史

 

 

脾不統血証は世界保健機構(WHO)のICD-11では「Spleen failing to control the blood pattern (脾臓が血をコントロールできないパターン)」です。

慢性の出血、皮膚に赤や紫の斑点ができて出血したり、女性でシミとなり、血色が悪く、無気力で、強さが欠けて細脈

 

足太陰脾経の井木穴である隠白は脾不統血の機能性子宮出血(崩漏)のツボとして有名です。

 

金元四大家、劉完素先生は、1186年『素問病気宜保命集』 卷下・药略第三十二(针法附)でこう論じています。

出血が止まらず、鼻血、尿血、便血なら、足太陰脾経の井穴である隠白を刺鍼する。

 

 

明代、楊継洲著、『鍼灸大成』に、崩漏で月経が止まらない場合に隠白が使われていました。
妇人月事过时不止

 

以下の2013年の内蒙古中医薬の論文でも、隠白の点灸が機能性子宮出血(崩漏)に用いられていました。

陈志娟,王芳,禚丽梅.『艾灸隐白穴治疗崩漏的护理体会』
内蒙古中医药,2013,32(23):153.

 

『難経』 四十二難に「“脾……主裹血”」という記述があります。「裹」とは「つつむ」という意味だそうです。

脾重二斤三两,扁广三寸,长五寸,有散膏半斤,主裹血,温五脏
《难经。四十二难

 

脾不統血の代表漢方処方である帰脾湯は、南宋代、厳用和著、1253年『厳氏済生方』巻之三健忘論治で、健忘を主治すると初出します。

 

明代、劉純著、1368年『玉機微義』巻之十七、血証で、「帰脾湯は思慮謀慮過度で脾が心血を統摂できずに妄行して下血する」と論じられました。

 

明代、薛己著、『薛氏医案』でも当帰・遠志が加えられ、「帰脾湯は思慮過度で脾を傷つけて、脾が摂血することができずに妄行して出血する」と論じています。この明代の1368年の劉純と1573-1620の万暦年間の薛己が「脾不統血」理論の元祖だと思われます。

 

明代、武之望著、1620年『済陰綱目』论心脾为经血主统で、「血は脾に生じ、ゆえに脾は血を統する」と論じられました。

济阴纲目 论心脾为经血主统

 

清代、李用粋著、1687年『証治匯補』でも「およそ血証は脾虚があり、まず脾を補って統血する」と論じています。

 

清代、尤在涇の1768年『金匱翼』で、「脾は統血し、脾虚すれば血をコントロールできない」と論じました。

 

清代、 沈金鳌の1773年『雑病源流犀燭』や林佩琴著、1839年『類証治裁』でも脾は統血するという理論が論じられます。

 

清代、唐宗海著、1884年『血証論』脏腑病机论でも「脾は統血する」と論じ、「脾陽虚なら血を統することができず、脾陰虚なら血脈を滋養することができない。血が少なく、津液が少ないなら、肺を滋潤することができない。これは土が金を生じることができずに津液が潤おすことができないということである」としています。臓腑弁証を研究する際に『血証論』臓腑病機論を研究する必要性がでてきました。

血证论・脏腑病机论

 

面白いのは、脾不統血証という概念を明代の劉純や薛己や武之望が文献に残す前から、 金元四大家の劉完素先生が脾経の隠白を出血に用いていたという史実です。弁証よりも先に治療が存在するというのは鍼灸師にしかわからない感覚です。

 

臓腑弁証の脾不統血証の理論の歴史は、本当に研究して良かったです。『難経』四十二難の「脾は・・・血を裹を主る」という理論から、南宋時代、金元時代、明清時代を経て、現代の脾不統血証に至る流れを知ると、本当に中国伝統医学の魅力を感じることができます。

 

 

 

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