帝国医療

 

2020年1月21日
『東洋医学とは何か 51 -日本の満州・関東州における医療制度が戦後日本の医療制度に大きな影響を与えた』

 

以下、引用。

満州に開設された近代的医学校は明治44年(1911年)、奉天に設立された南満州鉄道の社立「南満医学堂」のちの満州医科大学(大正11年(1922年)昇格)です。昭和7年(1932年)3月に満州国を設立した当時は漢医が医師の殆どを占め、西洋医学を学んだ医師(西医)は少なく都市に偏在していました。

 

現在、医療人類学の分野で「帝国医療」「植民地医学」が大きなトピックスとなっています。

1935年に拓殖大学で漢方講習会「偕行学苑」が発足します。偕行学苑は大塚敬節・矢数道明・矢数有道・木村長久・清水藤太郎・柳谷素霊・石原保秀の7名が講師となり、鍼灸の講師として柳谷素霊が担当しました。1944年まで毎年行われ、受講生700名からは戦後の漢方を支える人材が生まれました。

拓殖大学は「植民地を開拓・殖産する」ための「植民地政策学」という学問がありました。

1938年には東亜医学協会が発足しました。これは中国・満州国・日本が一緒になって東洋医学の学校をつくろうという運動です。機関紙『東亜医学』を中国と満州に送っていました。さらに1940年には矢数道明先生と龍野一雄先生が満州国で会議に参加されています。

 

満州の満州医科大学では名著『宋以前医籍考』の岡西為人先生、韓国・ソウルの京城医科大学では朝鮮人参を研究された杉原徳行先生や原志免太郎先生とともにお灸のヒストトキシンを研究した京城医科大学の大沢勝教授もいます。杉原徳行先生は鍼灸の文献も書かれています。

杉原徳行著『鍼灸原論』大阪東洋医学研究会、昭和47年(1972年)、
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php…

 

杉原徳行著『経脈と鍼灸』日本鍼灸治療学会総会論文集1955 年 4 巻 1 号 p. 105-120
https://www.jstage.jst.go.jp/…/4/1/4_1_1…/_article/-char/ja/

 

 

日本政府は戦前の1939年から1945年に現在の内モンゴルで蒙古聯合自治政府という傀儡政権を運営していました。満州国(日本政府)はモンゴル漢方医学研究会をつくり、モンゴル医、漢方医に参加を指示し、淋病撲滅運動をしました。満州国は政策として蒙医養成班をつくり、ラマ医=モンゴル伝統医学医師を積極的に訓練・レベルアップしようとしました。1942年から満州国はモンゴル伝統医学医師の教育と資格制度さえつくっていたことが、2015年の新研究で明らかになってきました。

鉄鋼著「満洲国期・興安地域における医療衛生事業の展開」
大阪大学中国文化フォーラム
OUFCブックレット
7 巻 105 ー123:2015年
http://www.law.osaka-u.ac.jp/c-forum/box5/vol7/tekkou.pdf

満州の岡西為人先生や朝鮮の杉原徳行先生、個人的に大尊敬している日本の矢数道明先生は植民地の新天地から新しい東洋医学を創り、それを日本に還流させるヴィジョンを持っていました。

帝国における伝統医学の系譜
慎 蒼健
http://tsukaken2.world.coocan.jp/sympo2014sec3.pdf

 

 

1943年には竹山晋一郎先生と岡部素道先生は阿片中毒患者の鍼灸治療のため、北京の華北煙養療所、釜山・京城・平壌・天津に行きました。今、アメリカではNADAの麻薬中毒治療やオピオイド阿片鎮痛剤の治療に鍼が使われていますが、岡部素道・竹山晋一郎先生は時代を先取りしていました。

 

1842年のアヘン戦争後の中国はアヘン中毒に苦しんでいました。そして1940年代の日本はアヘン・ヘロイン・モルヒネなどの世界最大の麻薬輸出国でした。

以下、倉橋正直著『阿片帝国・日本』共栄書房2008年より引用。

 

戦前の日本は、なくても全く困らないヘロインを全世界の生産額の四割も作っていた。これを麻薬大国といわずしてなんと言おうか。

 

1895年に日本は台湾を割譲され、台湾総督となった後藤新平は神戸の範多財閥エドワード・ハズレット・ハンターにアヘン膏を作らせ、台湾で専売をはじめます。さらに中国の関東軍がアヘン販売をはじめました。このアヘン生産は日本のビッグビジネスとなります。

1915年からはSF作家・星新一の星製薬がアヘン生産をはじめます。第1次世界大戦中は星製薬・三共製薬・大日本製薬がアヘン生産で大もうけします。1920年には星製薬はコカインも生産しはじめます。

戦前の日本産アヘンの原料のケシはどこから供給されたのかというと、大阪と和歌山県です。大阪茨木市出身の二反長音蔵という「日本の阿片王」と呼ばれる人物が大阪でケシ栽培を始め、1928年には日本のケシ生産のほとんどは大阪府と和歌山県で生産されるようになりました。そして、日本はアヘン・モルヒネ生産大国となり、ヘロイン・コカインの生産も世界一となります。しかし、日本国内では医療用にわずかなモルヒネが使われるだけであり、これらは全て植民地に輸出されました。

 

当時の中国はアヘン窟がたくさんあり、さらに地方の軍閥もアヘンを資金源としていました。日本の関東軍も第一次世界大戦のドイツから奪って占領した山東省遼東半島でアヘンを売って莫大な利益を得ました。

満州で関東軍が占領した熱河は良質アヘンの産地で、日本は熱河でのみケシを栽培させて収穫したアヘンを専売し、毎年、莫大な利益を得ました。これらは全て日本政府が売っていた合法的な麻薬です。

しかし、中国本土では、日本は満州のようなアヘン専売制はとれませんでした。中国の軍閥が中国人自身にアヘンを売っていたからです。これは学術論文にもなっています。

1992年「日本の阿片侵略と中国阿片の抵抗について」
『歴史研究』 (30), p87-122, 1992
大阪教育大学歴史学研究室
https://ci.nii.ac.jp/naid/120001060213

 

以下、『阿片帝国・日本』より引用。

占領地域の中国人アヘン中毒者にアヘンを売りつけるために、日本側と中国側は裏社会で激しく争った。こういう仕事に軍人は不得手であった。それで日本軍は中国の裏社会に詳しい大陸浪人を利用した。里見甫がその代表であった。一方、海軍もおくれて陸軍のマネをし、海南島でアヘンをつくらせた。海軍の代理人が児玉誉士夫であった。

アヘン政策を(日本)国内では内務省・厚生省が担当した。植民地や外地では軍部や植民地庁、興亜院などがアヘン政策を担当した。これらの組織はみな国家組織である。したがって、日本のアヘン政策は国家的犯罪ということになる。

彼らはそのことをよく承知していた。だからアヘンに関することは極力隠した。国際的にも、また、国民の目からも隠した。関係資料も組織的かつ意識的に隠滅した。統計資料も出さない。秘匿の程度は軍事機密に次いだ。実際、内務省・厚生省・興亜院などのアヘン政策に関する資料は今日もなお公開されていない。日本のアヘン政策は戦後の東京裁判でごく一部、問題にされる。しかし、この問題で処罰された人はいない。資料が整わなかったためであろう。その意味では当局の資料隠匿作業が功を奏する。内務省・厚生省や軍部および製薬会社は、この問題に限れば、戦争責任を追及されることはなかった。このため、国民は日本のアヘン政策について基本的に知らされていない。

 

日本の歴史で、中国大陸のアヘン・麻薬と関わったのは岸信介・池田勇人・大平正芳・児玉誉士夫・笹川良一など戦後のビッグネームたちです。1910年代から1940年代は日本産のアヘン・コカイン・ヘロインが世界を席捲しました。戦時中の特攻隊員は疲労がポンととれる覚醒剤「ヒロポン」を支給されていました。大日本住友製薬のブランドが覚醒剤「ヒロポン」です。

 

2009年に発表された研究で、満州の「興亜院」で阿片栽培の経営を軌道にのせたのが、1978-1979年の総理大臣の大平正芳首相であったことも歴史研究で明らかになってきました。

2009年「大平正芳と阿片問題」
『龍谷大学経済学論集』 49(1), 83-107, 2009-09
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/…/477/1/r-kz-rn_049_01_007.pdf

 

 

2014年12月に現代史料出版から「米国国立公文書館機密解除資料CIA日本人ファイル」が出版され、戦後の謎の多くが解けました。

 

「米国国立公文書館機密解除資料(CIA日本人ファイル 第1巻~第6巻)」
加藤, 哲郎
現代史料出版2014年7月
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB1658253X

CIAコードネーム“PODAM”こと正力松太郎・読売新聞社主や、CIAコードネーム、POCAPON、緒方竹虎・朝日新聞副社長・主筆などとともに、土肥原賢二、児玉誉士夫、笹川良一などの個人ファイルが公開されていました。

GHQの諜報部G2を率いたチャールズ・ウィロビー少将が手足として使った特務機関、児玉誉士夫や笹川良一関連の児玉機関の活動について調べていたら、戦前の満州国や中国で活動していた里見甫が率いた里見機関が児玉機関と並ぶ特務機関としてCIA公文書研究書に出てきました。

 

里見甫は1931年満州事変後、日本政府の国家機関、興亜院と共に、中国での阿片販売を取り仕切る特務機関、里見機関を作りました。三菱商事・三井物産・大蔵財閥の大倉商事が共同出資してつくった昭和通商という会社とともに中国に阿片を売り、その売り上げが満州の関東軍の戦費になりました。昭和通商の実態は陸軍中野学校の会社で特務機関です。国立民族学博物館の初代館長の梅禎忠夫や「サル学」の今西錦司、民俗学の宮本常一といった日本の民族学者らは昭和通商に所属していました。そして昭和通商の民族学者たちは満州や蒙古、中国、チベットを調査し、それは異民族を効率的に支配するための情報収集のためだったのです。

 

これらのアメリカ国立公文書館から情報公開された「CIA日本人ファイル」を調査していくことで、戦前の麻薬戦争がみえてきました。関東軍による満州事変(1931年)からはじまる、少なくとも熱河作戦(1933年)とチャハル作戦(1937年)は関東軍による麻薬権益のための戦争でした。 熱河作戦(1933)で張学良軍閥から満州・天津・北京ルートのアヘンの流れを関東軍は奪いました。さらにチャハル作戦(1937)で蒙疆アヘンの利権を獲得し、これを中国全土で売りさばきます。このチャハル作戦の指揮をとったのは東条英機です。東条英機はこの麻薬マネーをもとに関東軍から日本本土の政界にうってでます。

 

以下、引用。

(1941年頃に上海の『大陸新報』の社長である福家俊一が、戦後の朝日新聞社長となる)美土路に「この次(の首相)はきっと東条です。これは決して間違いのない情報です」と注意した。その頃、発行された外国の年鑑では東条は日本陸軍を代表する人物20人にも入っていないなかったので「東条に大命が下るとは予想もできなかった。それがとうとう総理になった。これは満州における要人と、満州の麻薬売上のカネがその運動費になったのである」

山本武利著『朝日新聞の中国侵略』(2011年文芸春秋)115ページより引用。 

 

 

山本武利教授の文献 『朝日新聞の中国侵略』 を読み、驚愕しました。そこには東条英機が麻薬売上のカネで総理大臣になったことが、のちの朝日新聞社長となる美土路里昌一の回想記で語られているのです。この文献では、戦前の上海で朝日新聞の緒方武虎が関東軍の甘粕正彦大尉や影佐禎昭陸軍大佐と組んで『大陸新報』という新聞を上海で発行したことが研究されています。

『大陸新報』は日本軍と組んでプロパガンダを行う機関でした。甘粕正彦大尉は「満州の夜の帝王」と呼ばれて、満州のアヘンを支配した人物です。影佐禎昭陸軍大佐は「梅機関」という特務機関を率いて上海で蒋介石グループに猛烈なテロ戦争をしかけ、里見甫と巨額のアヘン取引をして軍資金を稼ぎ、朝日新聞・緒方武虎と『大陸新報』で日本軍のプロパガンダを行いました。

この『大陸新報』には児玉機関の児玉誉士夫も出入りしていました。のちに児玉誉士夫と笹川良一は中国で隠匿したタングステンなどの隠匿物資を上海から朝日新聞の飛行機で本土に運んで財をなすのですが、この秘密は戦前の上海『大陸新報』にありました。

これらの満州や上海のアヘンの流れの裏にいたのは特務機関「梅機関」を率いた影佐禎昭陸軍大佐ですが、その子孫が前・自民党総裁の谷垣禎一と知って2度驚きました。谷垣禎一の「禎」の字は影佐禎昭大佐からもらったものだそうです。

ちなみに、現在の日本共産党の志位和夫議長の伯父である志位正二さんも関東軍の諜報を担当する陸軍少佐であり、志位和夫議長の祖父は陸軍中将です。満州にいた岸信介首相は満州の麻薬利権で重要な役割を果たしたのは状況証拠から確実視されていますが、CIAファイルは機密解除されていません。CIAコードネーム“POCAPON” 緒方竹虎の息子が国連の緒方貞子の夫です。少なくとも日本歴代首相の東条英機・岸信介・池田勇人・大平正芳が中国大陸の麻薬利権と係わっていたことは証拠から確実です。戦前の満州の人脈が現代日本の政治に影響しているのです。

 

そして戦前の満州と満州医科大学と東洋医学者といえば、鍼灸「皮電点」の石川太刀雄の名前が当然、出てきます。満州の関東軍防疫給水部「731部隊」第六課病理班長だった石川太刀雄丸は731部隊の人体実験の資料をアメリカ軍に引きわたすことで戦犯としての告発を免れました。そして、アメリカが広島原爆の被害を隠蔽するためにつくった1945年の原爆傷害調査委員会(ABCC) の一員としてアメリカ軍の原爆被害隠蔽に協力します。

 

石川太刀雄は1950年にミドリ十字(日本ブラッドバンク)の創設に加わり、株主となります。石川太刀雄がオーナーの1人であるミドリ十字は1951年に「皮電計」を開発した皮電計メーカーでもありました。ミドリ十字はのちに薬害エイズ事件を起こしました。戦前の満州や朝鮮などの「東洋医学」の歴史の解明が待たれます。

 

 

 

 

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