『現代鍼灸資料選集』

 

承淡安著、『現代鍼灸資料選集』
现代针灸资料选集
人民衛生出版社、1958年3月

 

これは超貴重な資料で、秦伯未先生や鄭魁山先生などの針灸論文を集めたアンソロジーのような形式になっています。

承淡安先生の経絡に関する論文では「経絡的発現、可能是源出干気功」と明記されています。そのあとに、日本の長浜善夫先生の『経絡の研究』を引用されています。この本が出版されたのは1958年3月なので、ちょうど承淡安先生が大量に日本の鍼灸文献を翻訳出版された頃です。

 

1950年代の中国鍼灸は 朱璉という毛沢東のお気に入りの女医がパブロフ学説に基づく神経学説の鍼をしていました。この流れは1958年8月30日に上海市第一人民医院耳鼻咽喉科での尹恵珠主任医師による合谷を使った扁桃腺摘出手術の鍼麻酔の流れにつながっていきます。

 

このような西洋医学偏重の風潮に対して、 承淡安先生が日本の『針灸真髄』や長浜善夫『経絡の研究』を翻訳出版して、1955年に中国で経絡ブームが起こります。

 

その前には気功がありました。

1948年に劉貴珍先生が河北省で共産党幹部を気功で治療しました。そこで中国共産党幹部の信頼を得ました。

 

1950年の第1回全国衛生会議で西洋医師は中国医学を学ぶべきであり、伝統医師も西洋医学を学ぶべきであるという方針が確認されました。

 

1954年には毛沢東が「祖国医学の遺産を継承発展させる」「西洋医師が中医を学ぶ」ことを提唱しました。この方針転換によって唐山市氣功療法所が設立され、 劉貴珍先生が西洋医師に気功を教えました。

 

1955年12月、唐山気功研究グループは祖国医学に大きな貢献をしたとして中醫研究院の創立式で賞を受賞します。劉貴珍先生の気功の論文が『中医雑誌』に掲載されました。
劉貴珍, ’ 在實驗研究中的中醫氣功療法, 中醫雜誌 10 (1955): 22–23.

 

1955年、承淡安先生が長浜善夫先生の『経絡の研究』を翻訳出版します。また、任応秋先生が『中医雑誌』に「中医的弁証論治的体系」を発表し、『弁証論治』を提唱します。
任应秋.伟大的祖国医学的成就.中医杂志,1955,(2):1.

 

1956年、北京・上海・広州・成都で中医学院が創設されました。また、西洋医師が2年間、伝統医師のもとで学ぶ制度が始まりました。南京中医資進修学校で呂炳奎編の『中醫學概論』がテキストとして使われます。この 『中醫學概論』 に気功は全面的に採用され、掲載されています。これは9年後の1965年には日本で『中国漢方概論』(中国漢方医学概論刊行会)として翻訳出版されました。世界初の中医学の文献であり、日本で最初に翻訳された中医学の専門書です。

中国漢方医学概論 (1965年)
南京中医学院 編 中国漢方医学概論刊行会 (1965年)

 

1957年、秦伯未先生が「弁証論治概説」で弁証論治を中国伝統医学の本質として論じます。
秦伯未.中医“辨证论治”概说.江苏中医,1957,(1):2.

任応秋先生は『中医病理学概論』を出版します。表裏寒熱虚実陰陽の八綱弁証を基本に置いています。
任应秋.中医病理学概论.上海:上海卫生出版社,1957.1.

 

1958年に陸痩燕先生が『江蘇中医』に「鍼灸医学的発展道路」を発表し、鍼灸弁証論治の流れをつくりました。承淡安先生の『現代針灸資料選集』もその流れの中にあるようです。

 

1965年からは文化大革命がはじまり、1980年代まで中国は文化の暗黒時代となります。

1950年代の中医学の弁証論治の成立のベースには、日本鍼灸の影響である経絡ブームと気功があったと思います。

 

弁証論治という診断システムは、1950年代に共産党支配下の中国で生まれました。歴史的に、後漢の『傷寒雑病論』には「平脈弁証」という章があり、六経弁証の原型はあります。

元代の滑寿著、1513年『読素問鈔』にも論治という言葉はあります。明代の周之干著、『慎斎遺書』に「弁証施治」という言葉があります。清代、章虚谷著、1825年『医門棒喝』で初めて「弁証論治」という言葉が文脈の中で使われています。

 

 

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